江戸時代、広大な敷地を持っていた寛永寺
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- 旅行時期:2015/07(約11年前)
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by たいやきさんさん(女性)
上野・御徒町 クチコミ:30件
寛永寺は江戸時代に江戸城の鬼門を守るため、
京都における比叡山を模して造られたそうです。
もともとは上野公園の敷地が全部寛永寺の境内だったそうで
ところどころ、五重塔や弁天堂など江戸時代の伽藍が残っています。
江戸期には上野公園の噴水がある辺りに根本中堂がありましたが
幕末のいわゆる上野戦争で焼失。
今ある寛永寺根本中堂は明治期に川越にあったお寺を
上野東京博物館の裏手あたりに移築したもの。
お堂には靴を脱いで上がることができました。
お堂の中にはお守りやご朱印がいただける窓口があります。
また、寛永寺の歴史がよくわかるDVDも再生されていました。
歴史を知ってみるととても興味深い上野の山と寛永寺でした。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2015/08/01
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