毛利輝元が築いた城
- 5.0
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
-
-
by bluejaysさん(男性)
広島市 クチコミ:6件
1589年、毛利輝元によって築かれる。関が原の戦いの後、先陣を務め貢献第一とされた福島正則が、安芸広島・備後鞆50万石の太守としてこの地に入った。
豊臣家の滅亡を機に羽柴姓を捨てた正則は1619年、台風で破壊された広島城を修繕したことを武家諸法度違反に問われた。修繕箇所を破却することで一時は収まったものの、修繕箇所ではなく重要ではない本丸北東の石垣を破却したため安芸・備後50万石を没収され、信濃高井野・越後魚沼4万5000石に改易された。
その後は浅野長晟が入り、明治まで続いた。
1894年の日清戦争では、大本営が城内に設置された。1945年の原爆投下により、全ての建物が破壊された。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/07/28
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する