天守の先駆け
- 4.0
- 旅行時期:2013/12(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
奈良市 クチコミ:3件
松永久秀が1560年、眉間寺山と呼ばれていた山に築いた。城には多聞天が祀られていたため多聞山城と呼ばれ、山は多聞山と呼ばれるようになった。
四重天守は天守の先駆けで、その様子はルイス・フロイスによってヨーロッパにも伝えられた。松浦静山の「甲子夜話」では、天守の始まりを多聞山城としている。塁上には長屋形状の櫓が築かれ、これが多聞櫓の始まりとされる。
久秀は1573年、織田信長に反旗を翻したが降伏し、多聞山城を譲渡した。城にはその後明智光秀、次いで柴田勝家が入った。
1576年、信長は筒井順慶を大和の守護に任じ、多聞山城の破却を命じた。石材の多くは初め筒井城に用いられ、後に郡山城にも移された。
現在は若草中学校。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/06/30
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