片桐且元の城
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- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
茨木・摂津 クチコミ:2件
建武年間に楠木正成が築いたのが始まりとされる。
茨木氏は文安年間より台頭していたと考えられており、茨木重朝は1568年、織田信長の摂津入国の際に臣従し、摂津三守護の一人に任じられた。だが1571年、白井河原の戦いで重朝が戦死し、茨木城も陥落して茨木氏は滅んだ。
茨木城はその後中川清秀が城主となるが、賤ヶ岳の戦いで華々しく戦死し、その子秀政は播磨三木城へ加増のうえ移封される。茨木城はその後秀吉の直轄地となり、秀吉の代官が入っていたが、関ヶ原の合戦の後片桐且元が城主となる。
1614年方広寺鐘銘事件が起き、且元は秀頼の名代として仲裁に奔走するが、徳川に内通しているという疑いをもたれ、大坂城を追放される。さらに豊臣家から攻撃を受けた且元は、ここに至り徳川に寝返ることを決意し、大坂城の内部構造などを詳細に教えた。だが大坂城落城の20日後に、謎の死を遂げる。
江戸幕府の一国一城令により、摂津では高槻城のみが残ることとなり、茨木城は1616年に破却された。
本丸は茨木小学校付近にあったとされ、復元された櫓門が正門となっている。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/06/20
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