乱世の梟雄大内定綱の城
- 4.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
二本松 クチコミ:7件
塩松一帯は室町時代は石橋氏の所領で、小浜城はその家臣大内宗政が1471年ころ築いたとされる。大内氏の前の居住地、若狭国の小浜に似ていることから、命名したと言われている。
大内義綱は田村氏の支援を受け、石橋家を追放して塩松領を押領。大内氏は田村氏に服属したが、義綱の子定綱は1584年、千石森の戦いで田村氏に勝利し自立した
同年、伊達政宗が伊達家の家督を継承すると、定綱は米沢城を訪れ、伊達家への忠節を誓い妻子を人質にする旨を申し出て小浜に戻るが、その後米沢に戻らず、蘆名氏に通じた。そのため政宗は1585年、田村氏とともに大内領に攻め入り、小手森城で撫で切り(皆殺し)を行うと、定綱は小浜城を放棄し蘆名氏のもとへ逃亡した。定綱は後に伊達家に帰参し、重臣となった。
小浜新町バス停で降り、二本松市役所岩代支所横の坂を登る。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 二本松駅まえからバス
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 非常に少ない
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/03/08
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