奥州藤原氏が築いた防塁
- 4.5
- 旅行時期:2014/11(約10年前)
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by bluejaysさん(男性)
伊達・川俣 クチコミ:2件
奥州藤原氏が、源頼朝軍侵攻の備えとして阿津賀志山(厚樫山)の南麓から阿武隈川まで、長さ約4キロ・幅約15メートルにわたり築いた。延べ25万人が6ヶ月以上かかって築いたと推定されている。大部分が内と外の二条の堀と土塁から成り、一部は一条のところもある。
1189年の阿津賀志山の戦いで、数に劣る藤原国衡はここを防衛拠点として戦ったが、吾妻鏡によれば、頼朝は畠山重忠に命じ、人夫80名に用意させた鋤鍬で土砂を運ばせ堀を埋め、兵馬が通れるようにした。宇都宮朝綱の手勢7人が地元民の案内で鳥取越を通り、国衡陣の背後に回ると国衡軍は混乱に陥り、国衡は逃走をはかったが討ち死にした。阿津賀志山防塁を突破された藤原氏は、防衛困難となり滅亡への坂道を転落していく。
藤田駅から2.7キロ。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 藤田駅から2.7キロ、公共交通なし
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/03/07
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