江戸一番の盛り場だった
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- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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by kazekozoさん(男性)
両国 クチコミ:82件
両国橋の東詰を川沿いに南に50?ほど歩いたミニ広場に、墨田区が設けた「江戸の町」という高札が何本か立っている。
その一つが、「旧両国橋・広小路跡」の説明をしている。
それによると、旧両国橋はこの辺りに架かいました。
明暦3年(1657)の大火で、多数の死者を出したため、橋をつくり、、武蔵と下総の国を結ぶ橋なので、両国橋と呼んだ。
交通の要衝となっただけでなく、橋のたもとには、火除け地としての広小路が設けられた。
西側(日本橋側)は「両国広小路」といわれ、芝居小屋や寄席、腰掛茶屋が立ち並んだ。東側は「向こう両国」と呼ばれ、見世物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねる繁華街となった。
いまでは、その面影はまったくない。
- 施設の満足度
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2.0
クチコミ投稿日:2015/02/17
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