太古の歴史を今に伝える
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- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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by 紅映さん(非公開)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:19件
東京大学の農学部と工学部の境、弥生坂と呼ばれる坂の途中に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑があります。
明治17年(1884)、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂鉊蔵の3人は、根津の谷に面した貝塚(東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現東京都文京区弥生)の向ヶ岡貝塚)から赤焼きのほぼ完形の壺を発見しました。
弥生式土器とは、弥生時代に使われた素焼きの土器のことですが、その壺の形は、イチジクの実の形に似ていて、胴の下半分が外側に張り出しています。粘土を輪積みにして整形し、外面を丁寧に磨き上げ、焼成の具合で赤みがかった部分あり。壺の肩の辺りを太い縄目と細い縄目で装飾。この縄文の上に小さな円形が三つを一組として頸部をめぐっていことから、弥生時代後期のものと考えられています。
弥生町出土の壺は、東海地方東部、特に駿河湾付近の特徴を残していることから、東海地方東部の人が、この地に移り住み環濠集落を形成したと推測されています。
「弥生式土器」の発見地は、都市化が進むなかではっきりしなくなり、推定地として3か所が指摘されていました。
昭和49年(1974)、東京大学構内の旧浅野地区の発掘調査により、二条の溝と貝層、弥生式土器等が検出され、都心部における弥生時代の数少ない貝塚を伴う遺跡として重要であることが評価され、昭和51年(1976)に「弥生二丁目遺跡」として国の史跡に指定されました。
しかし、弥生式土器の発見地は特定するにいたっておらず、現在も調査研究が進められているそうです。
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/12/13
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