ここから広島壊滅の第一報
- 3.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
-
-
by amaroさん(男性)
広島市 クチコミ:66件
広島市の護国神社の境内南側に石碑があり何だろうと見てみました。中国軍管区司令部の地下通信室と書いてあり、閉鎖用のフェンスの向こう側に地下への入口が見えました。碑文によると、太平洋戦争中、この場所には半地下式の作戦司令室、通信室がありました。原爆投下の際、広島からの通信が途絶しましたが、生き残った軍事専用電話を使って広島壊滅の知らせが送られたとあります。原爆被災の第一報といわれる通信です。驚いたことにそれを送ったのは学徒動員されていた比治山高等女学校の生徒だったそうです。原爆投下の第一報については諸説がありますが、これは初めて知りました。この辺りは爆心地から数百メートル程度。地上にいれば、一瞬にして消滅した距離。半地下なので何とか生き残ったのでしょうが、猛烈な放射線は浴びていたのかもしれません。
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2014/11/30
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する