水攻めのために忍城の周囲に築いた石田堤(いしだつつみ)
- 3.5
- 旅行時期:2014/03(約10年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
行田・羽生・加須 クチコミ:6件
石田堤(いしだつつみ)は豊臣秀吉による関東平定の一環として小田原方の成田氏長居城である武蔵国・忍城を石田三成らが攻めたときに水攻めのために忍城の周囲を総延長28km(現・埼玉県行田市・鴻巣市内)に渡って築いた堤で1590年の関東平定において忍城城主・成田氏長は小田原城に籠城し残った士卒・兵・地元農民ら3000人が忍城に立て籠った。攻城の総大将に任じられた石田三成は力攻めを行ったが周囲は沼や深田という足場の悪さにも守られ城攻めは遅々として進まず三成は忍城を望むことができる丸墓山(現・丸墓山古墳)の頂きに本陣を構え水攻めを発案し忍城周囲に総延長28kmにも及ぶ堤を築いた。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2014/08/31
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