今戸神社参道だった今戸橋跡(いまどばしあと)
- 3.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
浅草 クチコミ:6件
今戸橋跡(いまどばしあと)は山谷堀にかかる最下流(隅田川から一つ目)にあった橋の跡で山谷堀は現在の北区を通る音無川を源として飛鳥山の北側、王子権現の下を通っており1594年に千住大橋が架かるまではこの橋を旧奥州街道が通っており交通の要所で吉原への玄関口としても有名だったが埋め立てにより遺構となり台東区スポーツセンター広場前に欄干などが残されている。今戸橋跡(いまどばしあと)に近い今戸神社今戸神社は康平6年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれる戦勝祈願の神社で1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し今戸八幡から現在の今戸神社と呼ばれるようになったとのこと。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2014/08/07
いいね!:4票
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