岐阜県郡上市 城 「郡上八幡城」
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- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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by ぴんぴんころりさん(男性)
郡上八幡 クチコミ:7件
蛾の卵が恐ろしいほど沢山白壁の至る所に付着している。
城までの道路が非常に狭くマイクロバスでも困難だと思われる。
HPより
戦国時代末期の1559年(永禄2)、遠藤盛数によって築かれた。
後方には緑濃い連山が飛騨までつづき、南と西を流れる吉田川・小駄良川が天然の外堀となっている。
遠藤氏は、奥美濃の名族東氏の一族だったが、本家を滅亡へと追い込み、小戦国大名の地位を勝ち得た。
だが、賤ヶ岳の戦いで、盛数(もりかず)の子遠藤慶隆(よしたか)は、羽柴(豊臣)秀吉に敵対し敗戦したため、城主の座を失った。
その後、稲葉貞通が城主となり、今日に伝えられる石垣が築かれた。
しかし、関が原の戦いで西軍に属したため移封の憂き目をみる。
徳川家康は、ここに再び、遠藤慶隆を入封させる。
その後、遠藤氏5代常久が幼少で死に、改易処分となったのち、井上氏・金森氏が入封。金森氏が農民一揆などを咎められて取り潰されると、譜代大名の青山氏が入封し、以後世襲し明治維新まで城主として君臨した。
明治になって廃城となったが、1933年(昭和8)模擬天守が木造で再建された。木造再建城としては日本最古。県史跡。
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.5
クチコミ投稿日:2014/08/03
いいね!:4票
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