川之江市制施行30周年を記念して建てられた模擬天守
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- 旅行時期:2014/02(約12年前)
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by 吉備津彦さん(男性)
四国中央 クチコミ:1件
伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ交通の要衝である川之江の鷲尾山山頂に位置した川之江城は、南北朝時代から戦国時代にかけての城であり、別名仏殿城といわれるように本来は仏閣であった。
南北朝時代、南朝方の武将であった河野氏の砦のひとつとして、土肥義昌が1337年に川之江城を築いた。その後戦国時代には城主は妻鳥友春になっていたが、土佐の長宗我部氏へ河野氏に背いて通じたため、河野氏配下の河上安勝によって落城した。
豊臣秀吉の四国平定以後は、川之江地方は小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が変わったが、加藤嘉明の時代に川之江城は廃城になった。
一柳直家が1636年に川之江藩を立藩し、城を再築しようとしたが1642年に死亡し領地は没収され、以後天領になったため、再築されなかった。
昭和時代には本丸付近の石垣に僅かの名残りを留めるに過ぎなかった。しかし川之江市制施行30周年記念事業として、1984年から城山公園整備事業として、本丸跡に天守、涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀などが建築された。そのため、必ずしも史実通りに再現せれていない模擬天守である。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2014/07/26
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