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九段下 寿司政

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九段下 寿司政〔和・寿司割烹〕

  • 5.0
  • 旅行時期:2014/07(約11年前)
横浜臨海公園さん

by 横浜臨海公園さん(男性)

神田・神保町 クチコミ:36件

此の店は、幕末たる文久元年(1861年)に江戸日本橋で商いを始めた、我が国に於ける江戸前寿司店として、屈指の老舗中の老舗です。
今日現存する文献等々に拠り、にぎり寿司の原型が誕生したのは、嘉永年間(1848〜55年)とされ、それ以前は、当時の江戸でも鮨と称する物は、現在の大阪鮨の箱鮨だった。
当時の江戸の狂歌に、早く熟れろ熟れろ と云う内容のものがあり、此れなど、箱鮨を表した典型的表現だと思われます。
然し、何事に於いても気が短い江戸っ子の事。
熟れるまで待ってられるか!
ならば、もっと簡単に鮨が完成しないのかと、あれやこれやとして、現在のにぎり寿司が登場し、当時の浮世絵に残っております。
にぎり寿司登場当時のネタは、玉子焼、鯛、平目、鯵、海老、烏賊、蛤、等々で、本来の江戸湾で収獲された魚介類だけが提供されたものでした。
現在の如き鮪(まぐろ)は、卑下された魚で、赤身をネギ間汁として下層階級が食する物であり、言わんや、トロなどは、人間が食べる物では無いとされ、当時は捨てられていた部位だった物が、関東大震災以降、口にされる様になった食材で、現在の如き超高級食材になろうとは、当時の人々には思いもよらなかった事に違いありません。
寿司政は、日本橋で創業した後、神田三崎町で営業していたものが、関東大震災で焼け出され、現在地に移ってきたものです。
勿論、店内にガラスケースなど存在せず、日華事変から大東亜戦争を経て、戦後、寿司業界が復活を果たした際に、多くの店で、づけ調理法が廃絶した内で、現在でも創業当時の調理法を墨守しています。
店内はカウンター8席、テーブル席3席のみ。
完全予約制



九段下 寿司政(くだんした すしまさ)
東京都千代田区九段南1−4−4
?: 03−3261−0621
平日: 11:30〜14:00 17:30〜23:00
土日祭日: 11:30〜14:00 17:00〜21:00
年中無休
東京メトロ東西線九段下駅地上出入口6番 徒歩45秒
http://www.sushimasa-t.com/kudan/

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
その他
一人当たり予算:
10,000円以上
利用形態:
ディナー
アクセス:
5.0
コストパフォーマンス:
5.0
サービス:
5.0
雰囲気:
5.0
寿司店に慣れていない方は気後れするもと思われます
料理・味:
5.0
バリアフリー:
5.0
観光客向け度:
5.0
靖國神社下に所在する為に、昭和末期頃まで戦友会での旧将官、旧佐官御用達だった

クチコミ投稿日:2014/07/21

いいね!:44

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