明治の外交官小村寿太郎
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- 旅行時期:2014/06(約12年前)
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by べんべんさん(男性)
日南 クチコミ:22件
日本を代表する明治の外交官小村寿太郎は、飫肥城下の町役人の長男として現在の生誕碑の場所で生まれました。
そして桂太郎内閣で2度も外務大臣をつとめました。数ある業績の中でも、1905年(明治38年)緊迫した政情の中で、日本側全権として、ポーツマス条約(日露講和条約)を調印して、日露戦争を終結に導いたことは、最大の業績です。
この生家は、小村家が破産したため、明治時代後期に、振徳堂裏に移築、さらに大正10年に現在地に移築されました。
老朽化の進んでいた生家を市が改修し、平成16年4月から公開していますが、見過ごしてしまいほど普通の家です。
- 施設の満足度
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3.0
- アクセス:
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クチコミ投稿日:2014/07/08
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