大阪初の公立学問所の跡
- 4.0
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
-
-
by すぶたさん(女性)
大阪城・京橋 クチコミ:106件
舎密とは、オランダ語の理・化学を意味します。
幕末、江戸洋書調所を開講する予定が、維新を迎えたため大阪に移されました。
大阪ではじめての公立学問所でオランダ人ハラタマを招き、明治二年五月開講しました。
その名のとおり主として理化学を教えました。
その後、学制改革などで名称が変遷しましたが、
明治22年には京都へ移り、旧制第三高等学校・京都大学へとつながっていきました。
ハラタマ先生の像も同じ敷地にあります。
なお、大阪大学のもととなったのは、適塾でこちらは緒方洪庵の私塾です。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄谷町四丁目駅から徒歩3分
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 人通りが多い
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2014/05/03
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する