悲しい歴史を静かに物語っています!
- 4.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by ミスターミーさん(男性)
上野・御徒町 クチコミ:9件
上野のお山の西郷さんの銅像近くに何故かひっそりと建っています。そして、何時もお花が綺麗に供えられています。
彰義隊は、徳川最後の将軍、徳川慶喜の警護並びに江戸の警護を目的として1868年、一ツ橋時代の側近達旗本を中心として結成された部隊で、徳川慶喜水戸に退隠後も徳川霊廟の警護を名目として上野のお山(寛永寺境内)に立てこもり、新政府軍と戦うも一日であえなく敗れ去りました(所謂上野戦争)。
生き残った隊士達が新政府の許可を受けて明治7年(1874年)墓を建立、明治14年に作られた墓碑(旧幕臣山岡鉄舟筆)には「戦死之墓」とだけの墓名となっており、何故か彰義隊の文字はありませんでした。しかし大きな墓石の前に小さな古ぼけた墓石がありそれには彰義隊の文字がしっかり刻まれています(寛永寺塔頭の住職が密かに地中に埋納していた由)。
勝てば官軍負ければ賊軍のたとえがありますが、大義を彰(あきらか)にすると立ち上がった武士(もののふ)達の報われなかった戦だったのでしょうか。悲しい歴史を感じさせるお墓です。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2014/05/02
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