公家であった上杉重房が親王に従って下向してきたのがはじまり
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- 旅行時期:2014/03(約11年前)
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by たびたびさん(男性)
鎌倉 クチコミ:380件
扇谷上杉管領屋敷跡は、護国寺の並び。
それまでこの辺りを指していた亀ヶ谷という名に対し、扇ヶ谷という名が一般的になったは、室町時代に上杉氏がこの地に住み、「扇谷殿」と呼ばれるようになったことからだそうです。
ちなみに、上杉氏は、第6代将軍宗尊親王が鎌倉に下向する際、公家であった上杉重房が親王に従って下向してきたのがはじまり。宗尊親王は鎌倉を追放されますが、その後も重房は鎌倉に留まり、武士として鎌倉幕府に仕えています。そして、足利氏と婚姻関係を結び、重房の孫清子は、尊氏・直義を生む関係。鎌倉公方を補佐する関東管領は上杉家が世襲することとなります。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/03/17
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