かつては野麦街道きっての難所
- 5.0
- 旅行時期:2013/07(約11年前)
-
by 僕の細道さん(男性)
奈川・安曇 クチコミ:2件
女工哀史。
野麦峠は標高1672m,かつては飛騨高山と信州松本を結ぶ野麦街道きっての難所でした。
映画にもなった、明治から大正にかけての「糸引き工女」の悲劇であまりにも有名です。
「野麦」とは、50~60年に一度隈笹(くまざさ)に花が咲き、麦の様な実を付けることから名付けられたと言います。
「口べらし」の為に自らがこの人生を選んだ時代が、わずか100年ほど前にあった事を忘れてはいけないと思いました。
辰次郎とみねは、あまりにも有名な石碑です。
辰次郎に背負われながら『あぁ飛騨が見える。』と言い残して政井みねは亡くなりました。
1909年11月20日、わずか20歳でした。
『愛』と『哀』を感じに、是非訪れて欲しい場所です。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- その他
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2014/02/18
いいね!:0票