築城たいへんでしたでしょ。
- 3.0
- 旅行時期:2012/07(約13年前)
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by pioさん(女性)
広島市 クチコミ:2件
鯉城とも在間城(ざいまじょう)とも呼ばれるこの城は、毛利輝元が築いたものです。
河ロデルタの低湿地に堀を造り、掘り上げ土砂で城地を高くする基礎工事は困難を極めたでしょうね・・・
当時は相当海にも近かったと思いますし、厳島神社のように、平建築ではないわけですからね。当時の技術者の苦労が偲ばれます。
輝元は、入城して10年もたたない慶長5年(1600年)、関が原の戦いでの責任を問われて萩へ移され、かわって福島正則(ふくしままさのり)が城主となりました。福島氏も、秀吉恩顧の大名として幕府ににらまれ、城を無断で修築したことを理由に、信濃(しなの)国川中島(長野県)へ移封されました。その後を継いで広島城主となったのは、元和5年(1619年)に和歌山から移ってきた浅野長晟(ながあきら)です。以後12代250年間にわたって浅野氏の藩政が続き、やがて明治維新を迎えました。そして原爆の爆砕に・・
この城の長い歴史と数奇な運命を想うと、よくぞここまで石組み等を復元し、位置関係が分かるようにしてくださいましたと、感謝感心致します。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 2.0
クチコミ投稿日:2013/12/08
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