日本最初の大規模な土木事業だったとされている茨田堤(まむたのつつみ)跡
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- 旅行時期:2013/03(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
門真・守口 クチコミ:25件
茨田堤(まむたのつつみ)は、仁徳天皇(オオササギ王)が淀川沿いに築かせたとされる堤防で『日本書紀』仁徳11年の記事に、「天皇は、洪水や高潮を防ぐことを目的として、淀川に茨田堤を築いた。」という内容の記述があり、茨田堤の成立を物語るものとされている。
長大な堤防を築くには高度な築造技術を要し困難も伴った。『日本書紀』には、「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり工事の成功を期してそれぞれの箇所に1人ずつ河伯(川の神)への人柱が立てられた。犠牲に選ばれたのは、武蔵の住人の強頸(こわくび)と河内の住人の茨田連衫子(まむたのむらじのころものこ)で強頸は泣きながら入水していき衫子はヒョウタンを使った頓知で死を免れた。結果として2か所とも工事は成功し強頸の断間(こわくびのたえま)・衫子の断間(ころものこのたえま)と呼ばれた。」という記述がある。強頸の断間は現在の大阪市旭区千林、衫子の断間は寝屋川市大間に当たるとされる。
茨田堤の築造と同時に堀江の開削という事業も実施されており日本最初の大規模な土木事業だったとされている。
堤根神社(つつみねじんじゃ)社殿の近くに茨田堤の一部が残りその上に樹齢500年以上の樟が生えている。昭和の初期までは茨田堤跡がもっと長く残っていたが宅地開発により削られているが昭和48年に大阪府史跡「伝茨田堤」に指定され一部が残されている。
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- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/07/17
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