惟喬親王が交野遊猟に用いた別荘とされている渚の院
- 3.5
- 旅行時期:2013/02(約13年前)
-
-
by さすらいおじさんさん(男性)
寝屋川・枚方・交野 クチコミ:187件
惟喬親王(これたかしんのう、844−897年)は、平安時代前期の皇族で文徳天皇の第一皇子で渚の院は惟喬親王が交野遊猟に用いた別荘とされている場所だ。
藤原氏を外戚とする惟仁親王(後の清和天皇)との皇位争いに敗れ、その憂さを晴らすため在原業平らとしばしば渚の院に来ており、『伊勢物語』82段には「いま狩する交野の渚の家、その院の桜ことおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りてかざしにさして、上中下みな歌よみけり」と記されている。
紀貫之が淀川をさかのぼり京に向かう途中、渚の院のかっての有様をしのんで『土佐日記』2月9日条に「かくてふねひきのぼるに、なぎさの院といふところをみつゝゆく。その院むかしをおもひやりてみればおもしろかりけるところなり。しりへなるをかには、まつのきどもあり。なかのにはには、むめのはなさけり」と記している。
「渚の院」は後に観音寺と呼ばれる寺院が建立されたが、明治初年の神仏分離で廃寺となっている。現在その跡地には鐘楼と鐘が残されており、枚方市の文化財の指定を受けている。
- 施設の満足度
-
3.5
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/07/03
いいね!:3票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する