過去淀川最高の洪水
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- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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by ねこにゃんさん(男性)
高槻・島本 クチコミ:59件
明治18年夏強雨の中、淀川の水かさが一気に増し、17日には茨田群伊賀村の堤防80歩余が決壊し茨田、讃良、東成の3群はことごとく浸水、民家は水没、そのため父子、老人は号叫し始めは堤防の決壊したこも知らなかった。
府知事建野君が土木課員を率いて直ちに視察に赴き親しく住民を励まし、奔走指揮した。29日に雨はまた激しく降り、7月1日には風ますます強くなりそのため防御することもならず、決壊箇所は40歩余りにおよんだ。
その後、氾濫は河内、若江、渋川、住吉の諸群にまで波及し家屋の浸水は大阪にまで波及した。夜になってから風雨は益々強くなり水かさは増して、人、家畜の悲鳴が加わり
これ以上の惨状は無かった。役人は船を出して漂流、衰弱している被災者を救助し仮設住居を設定して食料を給付した。その状況を知られた天皇から金5000円を賜った。
神商(教養・品位を備えた一流の商人)は急遽金銭と穀物の寄付を行い、人々を救済した。府知事は大々的に人夫を募り堤防の修理を行うが完成までに3ヶ月がかかった。木屋村の北に赤井堤という堤防があるが壊滅し200歩以上が流出、家屋35を消失し
良田は土砂流入により壊滅した。』
との話です。文面からも悲惨な状態が判ると思います。
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/07/02
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