戦時中、日本も少ない資源から原爆をつくろうとしていた。
- 4.0
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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by junuvievさん(非公開)
東白川・石川 クチコミ:5件
戦時中、陸軍は理研に委託して原爆開発をねらっていました。
東京の足立にあった理研の工場が空襲にあい、疎開して工場をつくったのが、ここ福島県石川町。地形が狭い盆地ですし、ウラン採掘ができるという理由からでした。
近所の旧制中学の14、15歳の学生が学徒動員でウラン採掘に駆り出され、終戦の年の春から約4か月間、つらい労働をしていたといいます。
資料館はそのウラン採掘、選鉱工場の跡地にあります。
資料館にたずさわった職員の方々が当時の資料を熱心に集めておられ、展示の圧巻は工場にいた飯盛里安博士が97歳の時、資料館からの質問に回答した直筆の手紙です。
その手紙によると、当時、石川町から出るウランはごくわずかで、多くはマレー半島から輸入していたものを選鉱していたとのことです。
現在でも資料館では当時の資料を収集中です。
当時のことを知る方が残り少なくなっている今、是非とも多くの方々に関心をもってもらい、資料収集に協力してあげてほしいです。
当時のことは思い出すのもつらいことだと思いますが、お知り合いの方やご存じの方は写真や日記、手記などありましたら資料館に連絡してあげてくださいね。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 駅から古い街並みを歩いていきます。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 無料というのがすごい。子供は無料でも大人は100円、200円ぐらいはとってもいいと思う。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- もっと皆さん行きましょうよ。勿体無い。
- 展示内容:
- 5.0
- 歴史民俗資料館といっても鉱物がほとんど。石川町からは153種類の鉱物が採れるそうです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 3階まで展示室がありますが、階段です。トイレは和式。
クチコミ投稿日:2013/06/10
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