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浅間神社

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淺間神社〔神社〕

  • 5.0
  • 旅行時期:2013/04(約13年前)
横浜臨海公園さん

by 横浜臨海公園さん(男性)

笛吹 クチコミ:1件

淺間神社(あさま じんじゃ)は、山梨県笛吹市に所在する甲斐國一之宮神社である。
甲斐國一之宮淺間神社は、垂仁帝(すいにん てんのう)(崇神29年(前29年)1月27日〜垂仁99年(70年)8月8日御在位中たる垂仁8年(前22年)正月に摂社山宮を奉祭し、三大竇録(さんだい じつろく)貞観7年(865年)12月9日條に於いて該地に遷座したとの記述が記載されている。
御祭祀は、
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
御1柱である。
因みに、駿河國一之宮富士山浅間神社の御祭神たる、
木花之佐久夜毘意命(このはなのさくやひめのみこと)
とは異字同神で、且つ、該神は、天照大神(あまてらすおおみのかみ)の孫たる 瓊瓊杵尊(にきぎのみこと)の妻で、故に、安産の神と位置付けられ崇敬されている。
奈良期から平安中期に移行時期に於いて、当時の富士山を所管する行政取扱は駿河國々司の専任事項とされ、事実、当時の中央官庁への富士山に関する報告文書は、悉く駿河國司言と称する発信物ばかりである。
然も、当時の甲斐國は、国名こそ存在すれど、国司が配置されぬ不在状態で官衛すら存在しない辺境の地だった。
該社は、天忍日命を祖とする大伴連氏系統たる古屋家が宮司を務め、甲斐武田家の庇護下、保護されて来たが、武田家滅亡後は、徳川将軍家に拠り保護され、特に、慶長17年(1612年)4月21日)に発したキリスト教禁教政策と共に、全国有力社寺保護政策が推進され、造営物寄進が進められた。
慶長8年(1603年)3月には、御神領賞 なる一文が現存し、該社世襲宮司たる古屋家、及び、社家一族管理が保証された。
宝永3年(1706年)10月16日に、浅間山が歴史的大噴火し噴煙は遠く西欧にまで飛散したが、翌宝永4年(1707年)11月23日に今度は富士山が大噴火するという自然災害が連続発生し、此の為に、関東甲信越地域に膨大量の火山灰が降り注いだ結果、該各地に甚大な被害を及ぼしたが、該社は、両火山至近地に所在する為に、境内造営物、及び、所有地に多大な被害を生じせしめた。
徳川幕府は瓦解し、慶應4年(1868年)1月4日附で明治新政府は 王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)を発し、国是として神道を唯一の国教とする祭政一致政策確立の方針から、同年2月10日附で神祇官を再興復活させ、神社管理を徹底化させた。
該社は、明治4年(1871年)7月1日附を以って、該社は 國幣中社 指定拝命を受けたが、反面、該社資産は国家財産とされたが、旧幕府時代に拝領した黒印地、朱印地、及び、除地に就いては、同年2月23日附大政官布告 社寺上知令が交付され、同年8月29日に廃藩置県実施が濃厚だった事から、該地付与者が藩消失に拠り法的付与も消滅するとの政府解釈から、境内地のみ該社所有とされ、此れ以外の土地に就いては国有地として公収された。
大東亜戦争終結後は、昭和20年(1945年)12月15日附で、連合国最高官・総司令部参謀副官より 国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督、並ニ弘布ノ廃止ニ関スル覚書 なる神道指令が出され、全国諸神社が国家管理から離れた結果、経営が困窮する神社が続出する中で、該社は他社に先駆け、昭和26年(1951年)5月1日に境内に木の花保育園を開設経営している。


淺間神社(あさま じんじゃ)
笛吹市一宮町一宮1684
?: 0553−47−0900
中央本線山梨市駅 徒歩60分
http://asamajinja.jp/
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/3062

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
1.0
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
5.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2013/04/28

いいね!:58

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