浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)も宿泊した郡山宿本陣(こおりやましゅくほんじん)
- 3.5
- 旅行時期:2012/09(約12年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
茨木・摂津 クチコミ:16件
郡山宿本陣(こおりやましゅくほんじん)は、大阪府茨木市にある旧西国街道の郡山宿の本陣。御成門脇に咲く椿が有名であった事から別名「椿の本陣」とも呼ばれ旧西国街道の3番目の宿場の本陣で、国の史跡に指定されている。
旧西国街道は古来奈良時代から重要な道で京都や奈良から西へ向かう為の主要幹線道路で郡山宿は栄えていた。江戸時代には京都・西宮間の街道にある5つの宿場の中間点にあるため西国大名等の参勤交代等に郡山宿の本陣が利用されていた。
本陣、脇本陣が設置され常時人夫30人・馬36匹が用意され本陣の当主は代々善右衛門と称し一橋家より帯刀が許されていたそうだ。
郡山宿本陣を利用した著名人のひとり、浅野 長矩(あさの ながのり1667−1701年)は、播磨赤穂藩の第3代藩主で浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)と呼称され元禄赤穂事件で知られる。浅野長矩は1700年、松の廊下にての吉良刃傷事件の前年に宿泊しており最後の宿泊となっているとのこと。
郡山宿本陣は日本の歴史の変遷を見てきた宿場だ。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/04/16
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