大阪府枚方市中宮団地内に土塁跡が残る禁野火薬庫跡
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- 旅行時期:2012/06(約14年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
寝屋川・枚方・交野 クチコミ:187件
禁野火薬庫(きんやかやくこ)跡は、大阪府枚方市禁野本町にある。大村益次郎(おおむら ますじろう1824−1869年)の発案で建造され、1896年から火薬庫として使用されていた。1938年には、禁野火薬庫に隣接して陸軍造兵廠大阪工廠(りくぐんぞうへいしょうおおさかこうしょう)枚方製造所を開設、枚方の街は砲弾・火薬製造の一大拠点となった。だが火薬製造の街・枚方には悲しい歴史がある。1939年3月1日、砲弾解体中に引火し2日間29回にも及ぶ大爆発を起こしたのだ。弾丸の破片は半径2キロにわたって飛散し近隣の集落は破壊され火災を起こしたそうだ。「禁野火薬庫大爆発事故」は死者94人、負傷者602人、家屋の全半壊821戸、被災世帯4425世帯という大惨事だった。
1956年に禁野火薬庫跡地には中宮団地が造成され、当時の面影はわずかに火薬庫を囲んでいた土塁に残るだけだ。「禁野火薬庫大爆発事故」を記憶にとどめるものとしては、火薬庫に隣接し多数の犠牲者を出した陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所跡の小松製作所大阪工場に「枚方工廠爆発殉難者慰霊塔」が建てられ、消火活動等で亡くなった16名の「殉職記念碑」が枚方市立禁野保育所の敷地に建てられている。
- 施設の満足度
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- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/04/05
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