招提(しょうだい)寺内町浄土真宗の道場だった敬応寺(けいおうじ)
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- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
寝屋川・枚方・交野 クチコミ:187件
招提(しょうだい)村は、浄土真宗の道場=現在の敬応寺(けいおうじ)=を中心とする寺内村として建設された。
佐々木源氏の流れをくむ在地領主の片岡正久と河端綱久が、将軍足利義晴から河内国牧郷内(かわちのくにまきごうない)の荒地を授けられ、天文(てんぶん)12年(1543)この地に、方八町(ほうはっちょう)の境内の縄張りをおこない、道場の地を定めて一堂を建立し、蓮如(れんにょ)の六男、蓮淳(れんじゅん)を招いた。この道場を中心に、東の低地に堤を築いて、ため池(御堂池(みどういけ))とし、周囲に土塁(土居)を築き各入口に木戸(きど)を構え、堂の前の通りから西へ民家を並べ、招提寺内町を完成させた。蓮淳の堂に対して、天文13年に本願寺の第10代法主(ほっす)である証如(しょうにょ)から本尊(ほんぞん)の開基仏(かいきぶつ)が授けられたが豊臣秀吉と明智光秀との決戦の際に光秀側に加担したため、光秀滅亡後、秀吉によって不入の特権を剥奪(はくだつ)され、天正(てんしょう)10年(1582)頃に寺内村としての歴史の幕を閉じた。敬応寺と称するようになったのは、元和(げんな)7年(1621)以降のこととのこと。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/03/20
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