空堀土塁が現存 世田谷城址公園 * 世田谷歴史散歩 *
- 3.5
- 旅行時期:2012/12(約13年前)
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by wiz さん(非公開)
三軒茶屋・駒沢 クチコミ:3件
* 晩秋の世田谷歴史散歩2 *
(東急世田谷線宮の坂駅)~曹洞宗 大渓山 豪徳寺~世田谷城址公園~
~若林公園~松陰神社~松陰神社通り商店街~(東急世田谷線松陰神社前駅)
「東京 散歩マップ /成美堂出版」という本を片手に世田谷散歩。
お散歩コースに、豪徳寺~世田谷城址公園~松陰神社とあったので、
紅葉も残っているかなぁと思い、歩いてみたのですが・・
このお散歩コース、歴史に繋がりがあってけっこうおもしろい。
世田谷城は、”豪徳寺”付近に本丸を置き、現在の”世田谷城址公園”付近まで
城域が拡がっていたものと考えられているそう。
安政の大獄の実行者が井伊直弼、犠牲者が吉田松陰。
”豪徳寺”には井伊直弼の墓所が、”松陰神社”には吉田松陰の墓所がある。
現在の世田谷城址公園は、住宅街ののんびりした公園、という感じ。
公園は見た目にもはっきりとした起伏があり、空堀や土塁が現存。
ちょうど木々が紅葉し落葉がすすんでいる時期だった。
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世田谷城(せたがやじょう)は東京都世田谷区豪徳寺にあった城。
吉良氏によって築かれた平山城。
世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた。
・貞治5年(1366年)、吉良治家が世田谷郷を与えられる。
・応永年間(1394年-1426年)頃、居館として整備されたと考えられている。
・吉良成高の頃、城郭として修築されたものと考えられている。
・天正18年(1590年)、吉良氏朝の代に小田原征伐により豊臣氏勢に接収されたが、
同戦役後廃止された。 江戸城改修に石材を利用したという。
世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状台地上に占地し、
城域の三方を取り囲む様に麓を烏山川が流れ天然の堀を成していた。
開発が進み旧態は詳らかでないが、豪徳寺付近に本丸を置き、
現在の世田谷城址公園付近まで城域が拡がっていたものと考えられている。
世田谷城址公園内から北に向けて延びる、空堀及び土塁が現存する。
世田谷城址公園内の遺構に関しては公園整備時に手が加えられているが、
豪徳寺住宅脇の遺構は良く旧態を留めている。 (wikipediaより)
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世田谷城は吉良治家が1365~1366年ごろに築城したといわれています。全盛期の七代目頼康の時には南関東の産業・交通の主要な場所となり、城の北、西、南の三方は烏山川を使った堀で囲まれ、豪徳寺へ続く丘陵は二重の深い堀のある堅固な城郭でした。その後1590年に秀吉が小田原北条氏を滅ぼすと、親戚関係にあった吉良氏も運命を共にし、8代、240年続いた歴史を閉じました。コナラやケヤキのほか、カマツカ、ウワミズザクラなども見られ、都市におけるまとまりのある緑の核になっています。東京都指定旧跡です。 (小田急電鉄沿線ガイド より)
http://www.odakyu.jp/walk/16/1.html#6
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- 施設の満足度
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3.5
クチコミ投稿日:2012/12/20
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