紅黄葉の彩り残る 曹洞宗大渓山 豪徳寺 * 世田谷歴史散歩 *
- 4.0
- 旅行時期:2012/12(約13年前)
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by wiz さん(非公開)
三軒茶屋・駒沢 クチコミ:3件
* 晩秋の世田谷歴史散歩1 *
(東急世田谷線宮の坂駅)~曹洞宗 大渓山 豪徳寺~世田谷城址公園~
~若林公園~松陰神社~松陰神社通り商店街~(東急世田谷線松陰神社前駅)
・・お寺さんの紅葉を見たいなぁと思い、(12月中旬)晩秋の豪徳寺へ。
紅黄葉には遅いかなと思いましたが、
大きな古木の 銀杏の黄色 と もみじの赤 がきれいに残っていました♪
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豪徳寺は井伊家の菩提寺。 幸運を呼ぶ招き猫で有名。
幕末の大老井伊直弼 [1815-1860] の墓所(東京都指定史跡)があるお寺。
彦根藩2代目藩主の井伊直孝 [1590-1659] が鷹狩りの帰りに、弘徳庵という
小さな庵の門前で、手招きする猫に巡り会ったのが縁で井伊家の菩提寺となった。
直孝没後に彼の戒名「久昌院殿 豪徳 天英居士」にちなんで ”豪徳寺”と改名された。
境内には、招福の猫たち「招福猫児(まねぎねこ)」がずらりと並んでいます。
本寺付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、天正18年(1590年)の
小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったとされるそうです。
(この日はちょうど、豪徳寺を見てまわったあと、世田谷城址公園へ)
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井伊直弼と吉田松陰 ふたりの数奇な巡り合わせ
尊王攘夷運動に荷担した幕末の思想家吉田松陰は幕府の弾圧を受け処刑され、この地に埋葬された。 この安政の大獄と呼ばれる事件を指揮したのが幕末の大老井伊直弼。 弾圧の犠牲者と実行者のふたりは、奇しくも1kmと離れない場所で、永遠の眠りにつくこととなった。 (東京 散歩マップ 成美堂出版 より)
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この寺は室町時代、1480年に世田谷城内の小庵として建立され、その後世田谷領を拝領した井伊直孝が1633年に菩提寺として再興しました。 「山門辺りで雨宿りをしていた井伊直孝が猫の招きに応じて歩きだした途端、先ほどの場所に雷が落ち命を救われた。」といった由縁が残され、招き猫でも有名です。 境内には桜田門外の変で暗殺された井伊直弼のお墓や、直弼の遺愛の茶屋であった種月園(一般非公開)が残されています。 大径木のイチョウやサクラが多く、ウラシマソウ、ササバギンラン、ヤブコウジなどの草本類もかわいい姿を見せています。 (小田急電鉄沿線ガイド より)
http://www.odakyu.jp/walk/16/1.html#5
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滋賀県彦根市のキャラクター”ひこにゃん”の由来
江戸郊外武蔵国荏原郡世田ヶ谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺で、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝がにわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた際に、手招きをする白猫を見て近寄ったところ、直後に大木に雷が落ちた。 この白猫のおかげで難を逃れたと感じた直孝は感謝し、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。 この白猫の伝説、いわゆる「招き猫発祥伝説」のひとつを元に想起された。
なお、豪徳寺を含む世田谷の地は、1633年(寛永10年)に江戸幕府より井伊家に下賜され、彦根藩所領地となっていた。これは現在の世田谷区のうち、面積にしておよそ半分程度にあたる。 (wikipedia より)
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”ひこにゃん”のモデル 豪徳寺の招福猫児 (allabout)
http://allabout.co.jp/gm/gc/77069/
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- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2012/12/20
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