「本能寺の変」前夜:織田家と上杉家の激戦の舞台
- 4.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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by hizuk927さん(男性)
魚津 クチコミ:9件
戦国時代、越中は一向一揆が勢力を伸ばし、西の神保氏、東の椎名氏の抗争、越後から進出してくる長尾氏(上杉氏)と激戦の渦中にありました。戦国時代後半、中央では織田氏が地盤を固めつつ、柴田勝家を中心とする家臣団が北陸へ進出し、上杉氏と激戦の舞台となったのが魚津です。
激戦の中心地となったのは、上杉氏の家臣団が立て籠もる魚津城ですが、それを救出しようとした上杉景勝が陣を築いたのが、ここ天神山城です。結局、本城の春日山城の危機で景勝が引き返してしまい、魚津城は篭城武将全員が自害し落城してしまいます。落城したのが6月3日です。ところが、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたのが6月2日。4日には柴田らの元に知らせが届き、引き返しています。あと一日持ち応えていれば、戦局は変わっていたかも知れません。
魚津城には城壁や堀の跡などは何も残っておらず、城跡であったことは殆ど分かりません。一方、天神山城はそれらしき面影は若干あります。
参考ホームページ
http://www.pcpulab.mydns.jp/main/tenjinyamajyo.htm
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 魚津市内からも近く、車で行けます。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 日中は人がちらほら訪れる程度です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 頂上付近まで車でいけます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 歴史(特に戦国時代)が好きな方にはお勧めです。
クチコミ投稿日:2012/05/31
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