伊東氏と島津氏
- 3.5
- 旅行時期:2011/01(約13年前)
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by tsuruya0さん(女性)
日南 クチコミ:16件
飫肥城は戦国時代は日向の伊東氏と薩摩の島津氏がこの地方の覇権を争ったため、この城を支配する城主も何度となく両氏で変わりました。1572年木崎原の戦いで伊東氏が敗れ没落したため、これで島津の領土になるのが決まったと思いきや、領土を失った伊東祐兵が豊臣秀吉の九州征伐に従ったため、その功により再び飫肥城の城主となり、明治時代の廃藩置県まで伊東氏の領土となりました。(伊東祐兵が今の飫肥の町並みを整備した)ちなみに豊臣系の家臣でありながら、関ヶ原の戦いで東軍側として参戦した唯一の九州大名であったため、江戸時代を通して、島津家のような冷遇は受けなかったそうです。城は明治になり廃城となりほとんどの建物が取り壊され、最近になり大手門などが再建されましたが、大部分は石垣だけの公園になっています。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/05/16
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