歌舞伎の「勧進帳」で知られる安宅の関(あたかのせき)
- 4.0
- 旅行時期:2009/04(約15年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
小松 クチコミ:11件
安宅の関(あたかのせき)は、石川県小松市に守護、富樫氏が設けたと言われる関所で源義経(みなもと の よしつね1159−1189年)が武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい 生年不詳−1189年)らと奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して関所越えを試みた歌舞伎の「勧進帳」で知られる。関守・富樫泰家(とがし やすいえ)に義経一行ではないかと疑われた弁慶は白紙を勧進帳と偽って読みあげる。さらに疑われた主人義経を家来の弁慶が棒で打ちすえ義経でないことを必死にアピールする。富樫泰家は義経一行であることを見破っていたが義経・弁慶の美しい主従関係に感動して通過させた。義経を通過させたことで源頼朝(みなもと の よりとも1147−1199年)の怒りを買った富樫泰家は守護職を剥奪され出家し、奥州平泉で義経と再会したのち現石川県石川郡野々市町に戻り、天寿を全うしたといわれている。なお安宅住吉神社の説明では頼朝の怒りを買った富樫泰家は責任をとって自害して果てたとのことだった。
安宅の関は歌舞伎の「勧進帳」で有名になったものでかなり脚色があるようだが、日本人の精神の根底にある弱いものに応援しようとする判官びいき(ほうがんびいき)の心を育てたこと、義経と弁慶の関係を理想的な主従関係のモデルとして武士道精神に植えつけてきたことなどを考えれば日本の思想文化史上重要な出来事だったといえるだろう。
アクセス――― JR小松駅→小松バス安宅線で15分、バス停:関趾前下車、徒歩3分
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- JR小松駅→小松バス安宅線で15分、バス停:関趾前下車、徒歩3分
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2011/11/16
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