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平城宮跡

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「東宮」「東院」とよばれ皇太子の宮殿だった平城宮東院庭園

  • 4.0
  • 旅行時期:2010/10(約15年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

奈良市 クチコミ:20件

平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区にはない東の張出し部を持ち、張出し部の南半は「東宮」「東院」とよばれていた皇太子の宮殿があったそうだ。
史上6人目の女帝・46代孝謙天皇(こうけんてんのう718−770年=後に重祚(ちょうそ・一度退位した君主が再び即位すること)した48代称徳天皇・しょうとくてんのう)はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催したとされている。東院庭園広場では天平茶会を催し、東院庭園は美しく整備されていた。
大極殿(だいごくでん)は、朝廷の正殿で大内裏の朝堂院の北端中央にあり、殿内には高御座(たかみくら)が据えられ、即位の大礼や国家的儀式が行われた。帝王が世界を支配する中心が「大極殿」の意味だそうだ。
740年、聖武天皇(しょうむ てんのう701−756年)によって恭仁京(くにきょう)遷都までの大極殿を第一次大極殿、奈良に都が戻ってからの大極殿を第二次大極殿と区分している。第一次大極殿は平城宮の正門である朱雀門の真北に位置し、第二次大極殿は平城宮東寄りの壬生門北に位置している。第二次大極殿跡は近世まで「大黒(ダイコク)の芝」と呼ばれた基壇が残っていた。奈良時代の後半は、中央の第一次大極殿院の跡地は朝儀の場としては使われなくなり、儀式の機能は東側、壬生門北の第二次大極殿に集約されたものと考えられている。奈良建都1300年に当たる2010年に合わせ、平城宮跡に第一次大極殿が実物大で復元されたことはうれしい。第二次大極殿は復元建造の初期段階だった。

平城宮跡---http://www.omiya-st.com/heijo_kyuseki/heijo_kyuseki.html

日本の旅 関西を歩く 奈良、「平城遷都1300年祭」東院庭園広場周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10515666/
日本の旅 関西を歩く 奈良、「平城遷都1300年祭」第一次大極殿周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10517825/

(写真は東院庭園の光景)


施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
家族旅行
アクセス:
3.0
JR「奈良」駅 近鉄「奈良」駅からバス「平城宮跡、佐紀町、二条町」下車徒歩1分、近鉄奈良線「大和西大寺」駅、徒歩7分
人混みの少なさ:
3.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2010/11/23

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