川上音二郎の銅像は、第二次大戦中、金属供出のため撤去されました。
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- 旅行時期:2008/10(約17年前)
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by 一歩人さん(非公開)
谷根千 クチコミ:14件
私は、新派劇で近藤正臣さんの川上音二郎を見ました。
オッペケペー、オッペケペー〜♪の風刺弁術は、何か、惹きつけられる
ものがありました。
もしかしたら、今の日本に必要な元気印かも。
由来は、
川上音二郎(1864−1911)新派俳優兼興行師。
元治元年元旦筑前博多の黒田藩御用商人の子に生まれ、裁判所の給仕、新聞記者をしながら、自由民権運動ではその天性の雄弁で、演説つかいとし京阪各地を放浪、自由童子と称した。
運動が下火になると、明治20年、川上音二郎の芸名で歌舞伎に出演、ついで、大阪の桂文之助に弟子入りし、浮世亭○○(まるまる)と名乗って高座に現れ、時世風刺やオッペケペー節で人気をさらった。と。
谷中霊園(やなかれいえん)
台東区谷中7-5-24
03-3821-4456(谷中霊園管理所)
JR日暮里駅から徒歩6分
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index073.html
- 施設の満足度
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5.0
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2009/02/06
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