本像の由来は、日蓮宗感応寺建立で改宗前、天王寺大仏
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- 旅行時期:2008/10(約17年前)
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by 一歩人さん(非公開)
谷根千 クチコミ:14件
正式には、銅造釈迦如来坐像(どうぞうしゃかにょらいざぞう)と
いいます。
明治 41年刊『新撰東京名所図絵(しんせんとうきょうめいしょずえ)』に
「唐銅丈六釈迦(からかねじょうろくしゃか)」と記され、東京のシンボ
リックな存在「天王寺大仏」として親しまれていた。
平成5年(1993年)に、台東区有形文化財に登載されました。
『武江年表(ぶこうねんぴょう)』元禄 3年(1690年)の項に、
「5月、谷中感応寺丈六仏建立、願主未詳」とある。
同銘文中には「日遼(にちりょう)」の名が見えるが、これは日蓮宗感応寺
(かんのうじ) 第15世住持のことで、同寺が天台宗に改宗する前の日蓮宗
最後の住職であると。
天王寺大仏
東京都台東区谷中7-14-8
03−3821−4474
日暮里駅下車
http://www.iwakisekizaiten.co.jp/jiin/tennoji.html
- 施設の満足度
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- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2009/02/05
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