数少ない江戸時代前の創建で、数奇な運命の、谷中天王寺
- 5.0
- 旅行時期:2008/10(約16年前)
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by 一歩人さん(非公開)
谷根千 クチコミ:14件
天王寺と谷中霊園一帯は、江戸時代は、天王寺域であった。
しかし、天王寺の歴史は江戸以前で、鎌倉時代後期に、日蓮が宿泊し
住民教化の縁で、日蓮聖人に帰依した土豪 関長輝(ながてる)の
草創にかかるといわれており、もとは、長輝山感応寺と号した。
文久11年(1274年)創建。
寛永15年(1638年)、3代将軍家光鷹狩の折、将軍の帰依を受け、
同18年29、680坪余りを寺地として与えられた。
元禄11年(1698年)不受不施派であったため幕府の禁に触れ、
幕府の命で日蓮宗から天台宗に改宗、
さらに天保4年(1833年)にも、寺号も護国寺天王寺に改宗された。
明治初期に天王寺の広大な境内地は、一部を残して東京府に移管され、
共同墓地の谷中霊園となった。
明治24年(1891年頃)頃に、谷中霊園、天王寺前町屋、隣接する
銀杏横町、芋坂が合併され、谷中谷中天王寺町となったが、昭和42年
(1967年)の住居表示で現在の台東区谷中7丁目になった。
(下町まちしるべより)
東京都台東区谷中7-14-8
03−3821−4474
日暮里駅下車
http://www.iwakisekizaiten.co.jp/jiin/tennoji.html
- 施設の満足度
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5.0
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2009/02/05
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