モネが栽培できなかった青紫色の睡蓮が咲いた。
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- 旅行時期:2008/05(約18年前)
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by maeさん(男性)
北川・奈半利・田野 クチコミ:1件
園芸師モネが画材として青色の睡蓮を願望し、生涯栽培できたかった
、青紫色の熱帯性睡蓮(Royal Purple Lily)を分株して
「北川村モネの庭マルモッタン」で咲かすことができました。
今でも、ジヴェルニーでも咲いていません。
★フランスから持ち帰った青いスイレンの名前…
?<日本名>ペンシルバニア
<正式名>'Pennsylvania' Henry Conard & William Tricker
?<日本名>ミッドナイト
<正式名>'Midnight' George H Pring 1941
モネの睡蓮の愛好家にとっては貴重な花のすがたでしょう。
青紫色の熱帯性睡蓮(Royal Purple Lily)は神秘です。
見ごろのシーズンは、7月〜8月でしょう。是非、午前10時から
午後3時までに参りませんと、花は閉じてしまいます。
http://www.emachi.co.jp/photo/index.php?trn=detail&ai_id=0046667&order=&key_id=0093350
「北川村モネの庭マルモッタン」は、フランス政府が世界で初めて
日本にジヴェルニーのモネの庭の完全再現を許した庭です。
「友の会の役員を御覧なさい。maeはこの庭には関連がありました。
フランスのジヴェルニー村のモネの庭は、モネの死(1926)後アカデミー・デ・ボザールに寄贈。、モネの絵は、マルモッタン美術館に寄贈です。
しかし館は、40年間放置、荒廃にさらされていましたが、1976年から
4年を費やし庭園師ジルベール・ヴェア氏(現在ジヴェルニーモネの庭
公園責任者)の尽力により、やっと、1980年に一般般公開されました。
観賞用の温帯性睡蓮はイギリスで18世紀ごろから、耐寒性原種の
N. odorata (ニオイヒツジグサの和名がある)などが栽培されていました。
その後、フランスのマーリアック*(Joseph Bory Latour-Marliac; 1830-1911)が交配育成しフランスでは大いに流行したのです。
一方、熱帯性スイレンの原種は古代エジプトの壁画や美術品に見られ、
ナイル川に自生していたN. caerulea (青紫)とN. lotus(夜咲き白)の
ようです。
ドーベン(DaubenまたはDaubeniana; 1863)が
イギリス・オックスフォード大学植物園で作出し、
本格的な育種が始まったのは19世紀末〜20世紀初頭から、
フランスでも流行したようです。
以上の睡蓮の流行は花の中でも色の種類がもっとも多く、
特に花の中でも青紫の色は熱帯性睡蓮(Royal Purple Lily)
しかないのです。
モネは1886年オランダで、河に捨てられたチュウリップの
無数の色彩の花弁に魅せられています。
1871年にはオランダで日本の浮世絵に出会い画法以外に花木花卉
、水辺の花卉、太鼓橋などに興味を持ち取り寄せ庭にうえています。
さらに、生涯を通してセーヌの川辺に住居を構え、水にまつわる
風景の絵を多く描いています。
最後の住居のジヴェルニーは、池を造成するにふさわしい、
セーヌ川の支流「エプト」にそそぐ小川「リュ」から水を引きれる、
絶好な地形であったのです。
このような、池の造園と日本の花木花卉、植物、と睡蓮で水の池
をつくったのです。
特に注目すべきは、画く構想によりにより画材である、睡蓮をはじめ、
植物を天候の変化、、朝昼夕の気象条件によって移動させていることなのです。花の庭も同様なのです。
ですから、数多くの睡蓮の連作が可能になったのです。
モネの睡蓮の原点が日本の「北川村モネの庭マルモッタン」だと
いっていいでしょう。
○近地のホテル
ウコディープシーテラピーセンター&ホテル
海洋深層水のプールとテラピー&ホテルで有名です。
http://www.utocods.co.jp/utoco.html
この地方ですと、超モダンでしょう。
mae
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2008/01/31
いいね!:3票
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