奈良・興福寺の阿修羅像の仏師について
-
奈良・興福寺の阿修羅像の仏師について
- 投稿日:2013-05-02
- 回答:1件
締切済
奈良を1年程掛けて、見て回ろうかと考えておりますが、興福寺の阿修羅像の作者について、気になってしようがありません。何故あのように少年のような顔にしたのか。身体の線を何故あのように華奢にしたのか。
適当な本をご存知の方がおられましたら、ご紹介 よろしくお願いします。利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する
k.sさん
回答受付は終了しました
ピックアップ特集
回答 1件
新着順 | 参考になった回答順
-
回答日:2013-05-02
興福寺の阿修羅像が大ブレイクしたのは、上野の東京国立博物館で開催された「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」(2009年3月31日(火)?6月7日(日))であり、その後の九州国立博物館(2009年7月14日(火)?9月27日(日))の入館者の多さも話題となりました。初日の上野・東博の入館者の多さからも「国宝 薬師寺展」を上回る盛況さになると直感しました。
しかし、興福寺が東京・有楽町の日生ホールで催行していた「奈良・興福寺文化講座」で、「阿修羅大研究」と題して通年テーマとして企画したのは平成11年(1999年)度でした。この時にはもう既に最も知られた仏像の1つになっていましたが。
この頃は、まだ興福寺国宝館の阿修羅像の前も大した人だかりではありませんでした。
また、2002年の興福寺カレンダーの写真は阿修羅像でした。
個人的には、昭和40年代に過ごした高校時代にはしおりの代わりに阿修羅像の写真を挟んでいた。この頃にはもう阿修羅像は高校生にも知られる仏像になっていた。
しかし、江戸時代までは興福寺の僧でも阿修羅像をまじまじと見ていた者などいなかったという。そうした状況は明治以降に一変したのだが、和辻哲郎の「古寺巡礼」(大正8年)や亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」(昭和18年)でも、阿修羅像の美は語られなかった。
私の記憶ではNHKで古刹を巡り仏像を紹介する番組があり、その中で興福寺の阿修羅像も紹介されたからだと思う。そうして、高校生の時に阿修羅像が一番好きな仏像になっていたのである。
入門編として、「奈良・興福寺文化講座」の内容を纏めた「阿修羅を究める」(小学館、2001年1月10日初版第一刷発行)から読まれることをお勧めします。
その後に、興福寺の阿修羅像が大ブレイクしてから出た本を読まれたら宜しいと思います。
なお、仏師将軍万福は興福寺西金堂諸像の作者とされています。不思議なことに、阿修羅像と比べるとその作者は無名の域に入るでしょうか。
お礼
早速の回答 有難う御座います。
私の場合は、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」を読んだのが、40年程前です。以前から奈良を見て回りたい、とは思っておりましたが、先延ばしにし、今に至っております。今、入江泰吉の自伝を読んでおり、入江氏の一番好まれた仏像が阿修羅だと知り、阿修羅像に対し、日頃疑問に感じていた「何故?」が急に広がりました。
早速図書館に行き、「阿修羅を究める」を借り、読もうと思います。
歴史といいますか、人間模様を理解したうえで、カメラを持って、奈良の今を訪ねようと思っております。(by k.sさん)1 票
ドクターキムルさん