旅館 鶴富屋敷のクチコミ
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早朝に宮崎市内をレンタカーで出発、美々津町、馬ケ背、高千穂峡と回り、日本の三大秘境とされる椎葉村の鶴富屋敷には16時過ぎに到着。
鶴富屋敷は、源平合戦屋島の戦いで平家方の玉虫御前が差し出す扇の的を射たことで知られる那須与一の弟が、現地の娘さんと恋に落ちた場所だそうです。
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日本三大秘境のひとつといわれる宮崎県の椎葉村
空港から車で4時間ぐらいの山村
国指定文化財鶴富屋敷にある旅館
気さくな女将さんが色々案内をしてくれた
食事もボリューム満点、1泊2食7,700円込
3月21日まで村の宿泊キャンペーン中で3,000円割引有り
(要・観光協会へ問い合わせ)
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平家落人伝説の発祥地である、鶴富屋敷。
昭和31年に、その歴史的価値の重要性から
国指定重要文化財に認定されています。
山の傾斜を利用した横長の並列型民家というスタイルで、
建築様式は寝殿造の木組みで大黒柱が太くしっかりしていることから
築300年を経ても未だに現役なんだそう。
重要文化財とはいえ、私有物なので、
併設された旅館のお客様などに開放し、
ときに宴会も開くようです。すごい。
各部屋には囲炉裏が掲げてあり、そこで焼く鮎や鍋は絶品でしょう。
旅館の裏手に平家一門の墓地がひっそりとあります。
その中に、悲恋物語の主役、鶴富姫のお墓も眠っています。
伝説か史実か、
いずれにしても大河にもなりそうな壮大なストーリーです。
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椎葉村にある鎌倉時代の立派なお屋敷で、弓の名手の那須与一の弟の那須大八郎が平家の残党狩りで数年滞在したお屋敷だそうです。平家の姫の鶴富姫と恋に落ちて女の子をもうけたらしいです。建物自体は、この地域の伝統的な造りになっていて、横一線に部屋が並んでいました。
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平家の残党の討伐を命ぜられ椎葉に来た那須大八郎が、平清盛の末孫の鶴富姫と結婚したものの、都への帰還を命ぜられ、帰還。悲哀の鶴富姫が住んだ屋敷らしいです。丘の上にあり、長い廊下が通っており、椎葉の集落を見下ろすことができました。紅葉した木々とのマッチが綺麗でした。
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椎葉のベテランボランティアガイドの方に案内していだいて見学しました。壇ノ浦の戦いから逃げ延びた平家の残党に追討の指令を出しその命によって来た那須大八郎の鶴富姫伝説の舞台であす。江戸時代に作られたというその屋敷は、昔のつくりを残しており、各部屋の用途など簡単に掲示してありますが、現在は重要文化財になっています。
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鶴冨屋敷は、重要文化財である屋敷の隣に宿泊施設などがあり、夕食をある一定以上のレベルのものを頼むと、重要文化財である部屋の中でとることができる。今回はちょっとだけ奮発して、食事をグレードアップして、重文の「でいの間」で夕食をとった。旅館には5,6組宿泊していたが、そこで夕食をとるのは私たちと、もう一組だけのようでした。シカ刺、いのしし肉、川魚2種、山菜の天ぷら、菜豆腐などとてもおいしかったです。シカはとてもやわらかく、いのししは圧力鍋で煮てあるのか崩れそうな感じでした。
部屋は、二階のあまり広くない和室で、歩くと下の部屋に響くようです。バス、トイレは別になっていて、部屋数は6部屋くらいしかありませんでした。
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鶴富屋敷に宿泊なので見学は無料でした。地元のボランティアガイドさんをお願いしていたので色々なお話を伺いながらでした。平家の落人、鶴富姫と那須与一の弟の大八との恋、那須家の繁栄話など。旅館の夕食は内容によっては、重要文化財となっている屋敷の広い部屋で取れます。
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国指定重要文化財でもある鶴富屋敷、築300年とも言われる椎葉村を代表する建築物で
全面に縁側が長く配置された寝殿造りで「並列型民家」と呼ばれる。屋根には棟飾りの
千木が組まれている。周りを切り立った山々に囲まれているため、この屋敷のような作りが
古くから伝わる椎葉の建築として村内に多く見受けられた。 -
国指定重要文化財の建物で、寝殿造っていうのかな?変わった間取りです。
聞けば椎葉村に昔からある建物は、みんな同じような間取りなのだとか!
従業員の方(?)が建物のことや、鶴富姫の悲恋物語を語って下さるので
前知識なしで訪れても、満足できる場所です。
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