2016/11/22 - 2016/11/23
192位(同エリア337件中)
甲斐太郎さん
斎宮(明和町)と松阪市へ
最近72チャンネル(愛知県)で、盛んに、斎宮のPRを流している。
伊勢神宮に、都から天皇の代理として派遣される未婚の王女(斎王)が住んだとこらしい。もっぱら祈ることが仕事であったという。三重県の明和町にあり、面積は2㎞x700mの広大な敷地に、500人もの従者をした従え、飛鳥時代から南北朝時代まで続いたという。
武士の力が増すと消滅したと言われる。
昭和45年ころから、遺跡が発掘されてだんだん全貌が分かってきたが、まだ、遺跡の一部しか発掘されていないらしい。
興味が沸き、斎宮に行ってみた。中途半端で面白くはないが、興味深かったので写真を紹介する。
すぐ隣が、松阪市である。
本居宣長、松阪城、三井家の発祥の地、松阪牛くらいしか知識はなかったが、ついでに尋ねてみた。
実際に遺跡や古い商家を見て、松阪商人の逞しさを感じさせられた。
これも発見であった。写真で紹介する。
明和町 2.3万人 松阪市 17万人
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近鉄 斎宮駅
昔は、斎宮村があった。 -
斎宮全体の説明
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上の右下の部分だけをとったもの
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将来は、発掘されるのだろう。
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2㎞x700mの面積があり、正方形の区画があった。
主な表札で方向が分かりやすい。 -
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斎宮
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斎宮の説明
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1/10の模型で、当時の建物が再現されている。
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1/10の模型
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いつきのみや歴史体験館
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体験館の入り口
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斎宮は、昭和27年に日本遺産に認定
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体験館
平安時代の衣装を着て写真がとれる。 -
体験館
斎王はこの籠に乗って、5~6日かけて、500人程度の従者を従え、京から斎宮までの旅だった。 -
体験館外観
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斎宮のあったところ
今は、公園になっている。 -
県立斎宮歴史博物館
発掘物、資料や模型の展示室が2つ、映写室がある。
その他に、会議室や、小公演室などがある。
映写室で、斎王が、京から斎宮に旅する姿を見ることが出来る。 -
撮影が禁止の展示室
重要な文献など -
フラッシュなしでの撮影ができる展示室。
複写品や発掘品が多い。 -
これは何?
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斎宮の発掘が始まるまでにも多くの人々の努力があった。
斎王は、少なくとも70名くらいは続いた。一部を除き名前も分かっている。 -
古代伊勢道の説明
遺跡の真ん中を伊勢道が、伊勢神宮まで続いていた。 -
斎王の森
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斎宮
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発掘現場
多分、斎王に使え人の住居跡だろうということです。
人数は多いとは言えないが、発掘は続いている。
体験の発掘もある。 -
公園内
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JR松阪駅の前
鈴は本居宣長の鈴乃屋からきているのだろう。 -
松阪駅前商店街
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三井の発祥の地
三越伊勢丹から贈られたライオン像 -
昔の商人屋敷
立派な蔵がある -
松阪市役所
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松阪城の説明
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歴史民俗資料館(城内)
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松阪商人の力を大きくした、木綿織物の機械
江戸時代初期に、尾張の商人が江戸の行くとき、松阪から木綿の織物を持って江戸に進出したのが松阪商人の始まり。 -
織物の機械が展示されている。
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各種の木綿の今でいうカタログ。
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織物機械
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松阪城
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天守址
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市内をながむ
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本居宣長の屋敷(城内に移設)
宣長は生涯をここで過ごした。 -
本居宣長の住居
台所 -
日本地図
結構正確である。これを見て宣長は何を考えたのであろう。 -
二階に鈴乃屋がある。所謂書斎である。4,5畳
ここで、古事記伝を学んだのであろう。 -
本居宣長記念館
工事中であった。 -
武家屋敷の一部
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武家屋敷
植木で囲まれているが、昔からではないと思う。 -
武家屋敷の入り口
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武家屋敷の内部
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三井家発祥の記録の表示
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松阪商人の館(旧小津清左衛門家住宅)
三井家と2~300mしか離れていない。 -
商人の館の内部
如何に大きいかは分かっる。
真ん中が炊事場である。 -
裏には蔵がある。
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部屋は10部屋以上はある。
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部屋の配置図
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多分、和田金の本社
松阪牛といえば、和田金である。
どう言う訳か表には、何も看板らしきものはない。一見、料理を影響していることも書いていない。さすが和田金か。
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