2015/05/28 - 2015/06/09
18位(同エリア305件中)
アーサーさん
偶々目にした 格安クルーズに 思いつきで申し込んだ、老齢夫婦のクルーズ初体験記。
バルセロナ発着 定番コースの西地中海11日の旅。
幸いなことに 天候に恵まれ、それなりに道中いろいろ有りましたが 同席になった方々も好印象の人が多く、期待通りの楽しい船旅となりました。
(旅行記を長々と書いてしまい、操作が重たくなって来たので 一旦7日目のマルタ島のバレッタで 本篇を終了し、 8日目のパルマ・デ・マヨルカからは 続編にしました。)
写真は乗船した 巨大なMSCファンタジア号(マルタ島 パレッタ港にて)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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序1)
お正月の 各旅行会社恒例のお年玉セールが終わる頃、トラベルZOOのメルマガで「トラベルzoo限定 MSCファンタジア 西地中海11日間 燃油サーチャージ込
149,800円〜(50組100名限定)」の記事を見て、興味を引き、取りあえず 問い合わせだけはしてみる。
そこで 送ってきたのが 写真のパンフレット。
読んでみると 私が想像していた クルーズ価格よりは 確かに安い。運航コースもオーソドックス。
よく分からないが キャンセルが可能なので バルコニーの無い海側の部屋 一人169,800円を申し込む。
日頃 もっと年老いたら クルーズはどうだろうと思っていたが これを機会にちょっと調べてもよいかなぁの気分。妻も楽しそうに 調べ始める。 -
序2)
1月25日新宿で開催された 株式会社クルーズプラネット主催の「クルーズ説明会」に夫婦で参加してみたが なんか旅行会社側の一方的な宣伝を聞かされたようでもう一つ。
突如 3月18日 チュニジアの首都チュニスで日本人3名殺害を含む観光客が襲われるテロが発生。私達が申し込んだ船と同じ運航コース。
安全と考えても まぁ そいうことは あるのだと覚悟はしておかねばと思った。
3月20日付で クルーズプラネットから チュニジアに寄るコースを変更する旨、手紙で連絡がきた。(写真)北アフリカの寄港が無くなるのは旅の一つの目玉が無くなった気分。
キャンセル可能な期日が迫り、行こうか止めようか迷うこと大。 -
序3)
それまで 暇に任せて ネットでクルーズ体験記を幾つか読み、図書館から本も借りて来て読んでいた。(写真はその内の一冊。)
読み調べた結果、クルーズが随分と大衆化していることは分かった。
海外旅行の一つのパターンらしきことも分かった。ただ その楽しさらしきものは実際に経験してみないと分かりそうもなかった。
料金的にオプショナルの旅行を除いて、チップも含めて一人 今回の約20万円は確かに安いことも分かった。
妻と話し合った結果、これもチャンス。行ける時に行っておこうか。ということになった。
只 旅行中 毎日がバイキングの連続のようなもので お互いに食べ過ぎによる肥満は絶対避けようと固く誓い合った。 -
序4)
今回の旅行はツアー旅行の一種で自分で 調べて手配することはあまり無い。
いわゆるオプショナルツアーも日本の旅行会社主催は高すぎて手が出ないし、船会社主催のエクスカーションは プログラムを一応見てみたが、乗船前に予約しておくコースも取り立てて無かった。その他に 寄港地での個人手配の観光ツアーも見積もりはお願いしたが ちょっと価格が折り合いが付かなかった。
それで 寄港地の接岸予定を調べて 比較的時間のあるジェノバだけ 自由時間の散策を計画して 調べておいた。(キョッソーネ東洋美術館に行きたいと思った。)
あとは 乗下船都市バルセロナでの自由時間を考えて、カタロニア音楽堂見学の予約等を手配した。
写真は 出発の約10日前に 郵送されてきた 飛行機のEチケットや乗船券など。
そこで分かったことは 船室がグレードアップされバルコニー付の部屋に変わっていた。ラッキー。 -
序5)
出発の3日前 大きなスーツケースは宅配に預け、成田まで運んでもらう手配をする。衣類、雑貨等でで約15キロ。夏場に向かうシーズンでそれ程の量にはならず助かる。パソコン類は 船中の接続料金が高そうなので持参しないことにする。
飛行機出発の24時間前、トルコ航空のオンラインチェックインをする。イスタンブールまでは ほぼ満席みたい。その先のバルセロナまでの座席を確定させる。
チェックインをネットで出来るのは時間的余裕ができるので 気分的に楽。
写真はチェックイン完了のお知らせメール。 -
1)5月28日(木)
① いつものように 地下鉄のアクセス特急成田空港行に乗ることから 旅は始まる。
会社退社時の時間帯にぶつかり ちょっと申し訳ない気分だが 今回は大きなスーツケースを宅配で先に送っておいたので 迷惑をそれほどかけないで済む。 -
② トルコ航空 手荷物チェックインカウンターは親切。ANAのマイル登録を聞いてくれて処理してくれる。
21時ごろの成田空港のテナントはかなりの部分が閉店されていた。いつもの免税店で煙草を買おうとして買えず。搭乗口近くの店でやっと買える。
経済合理性は分かるが、シャッター通りを取りぬける味気なさは もう一つ工夫が必要かと思った。
写真は定刻22時30分発のイスタンブール行の搭乗口付近。 -
2)5月29日(金)
①
エコノミー座席はほぼ満席状況。離陸して1時間位経って 夕食がサービスされる。ネットの記事でトルコ航空の食事は美味いと聞いていたが、深夜の窮屈な座席での食事はもう一つ。
食後 日本語の映画の視聴も可能だったが、面倒で眠ることにする。
(トルコ航空の機内アメニティ各種セットのサービスはあったが 持参した備品を使用して お土産代わりに持って帰る。) -
②
私が眠る体制に入った時、私の席の前方から 何かが起きているざわめきが伝わってくる。顔色を失くした男性客がトイレに入り、機内アナウンスで医者を探している旨 放送がある。少し経って 西欧女性の方が現われ 機内乗務員と英語で話している。機内で準備された医療キットが用意され、医療関係者らしき西欧男性も現れ、トイレから男性客も外通路に出て腰をおろし、点滴が始まる。
少し経って 点滴をつけたまま 車椅子に乗せられた男性は 上位席の方に運ばれて行った。
私はこの事態に全く無力だが、西欧女性の方のテキパキとした対応は尊敬に値する。(勿論、トルコ航空の乗務員の方々の優先順位のチームワークも)
写真は前方で 責任感を持って対応される にわか国際医療チームを写す。
幸い、大事には至らなかったようだが、私自身のことを考えてみると 海外旅行のリスクを 嫌と言うほど 目前で実感させられた。 -
③
少し眠れず、約11時間飛行後に イスタンブール着前の食事が出てはっきりと目覚める。それなりには眠った感覚。 -
④
イスタンブールの乗り換えで 約4時間の待ち時間ある。
幸運なことに 銀行のラウンジがあり利用させてもらう。どうも 同伴者の妻はダメらしいが今回限りのトライアルで認めるということらしい。これも小さな幸せ。
ゆったりしたラウンジ。 -
⑤
ラウンジからイスタンブール空港内の人々の動きを写す。
結構大きな空港。
安価な旅行代金の裏には 直行便では無い 経由便の時間のかかるケースもあることを知る。歳取ると 金額だけではいかない判断が必要と思う。 -
⑥
バルセロナ行の搭乗口がやっと掲示板に表示さて 搭乗口に向かう。
個人でトラジットが出来るのだから それなりに手馴れた クルーズのツアー客の方々なのかなぁと思う。 -
⑦
バルセロナ行の飛行機は空席が目立つ。二席を利用して 横になって眠る。
オンラインチェックインで座席指定を妻との間を2席空けておいて正解。
これも小さな幸せ。 -
⑧
約4時間の飛行後 バルセロナ空港に到着。
バルセロナはやはり遠い。今回 成田から約20時間掛かっていた。
機中食事も出たが、乗務員の人数の割合も多く 少しゆったりとしたサービスだった。 -
⑨
空港の通関の出口で クルーズツアー客集合。バルセロナのHIS支店からのメンバーが迎えてくれる。
バスの中で女性の現地添乗員の方が 旅行の諸注意を説明してくれる。
先週は約20名のお客さんだったが、今週は150名を超えているとか。 -
⑩
乗船手続き開始まで 町の中心カタルーニャ広場で自由時間(約2時間)待機。
私達は 疲れていたので 広場の脇の「エル コルテ イングレス 百貨店」で時間を過ごす。最上階が飲食スペースになっていたので 飲物だけを買って 街を眺めながらゆっくり過ごす。 -
⑪
バルセロナは 3年前の5月以来。何となく懐かしい。
前回の旅行で この百貨店を訪れる機会が無かったが 今回は時間が有ったので 地階の食品スーパー部門までブラブラする。 -
⑫
広場では 前回と同じ季節で花盛り。
温かい。太陽の国スペインを実感。 -
⑬
そして バスで港へ。
橋の上から 乗船するファンタジア号が見えてくる。
あらためて 大きいと実感。 -
⑭
そして船の乗船手続きの建物へ。
皆さんの荷物も結構多そう。
(ここで HISの現地添乗員の方とは別れる。) -
⑮
建物に入る前に スーツケースは専用の荷札タグをつけ 係員に預ける。
建物内で 乗船手続き。飛行機の搭乗とよく似ている。
ただ 建物の感じと 船内飲み放題券の勧誘と ウェルカムドリンクが紙コップ使用など なんか豪華客船への乗船のときめきが無い。普通に日本のフェリーに乗る感覚。
手続き後の売店の並びで水の販売をしている所があり、スーパーの特売で6本入りの水を一ケース買う感覚で衝動購入した。船室まで運ぶのに重たくて 若干後悔を感じる。 -
⑯
タラップに出て 船を間近に対面すると さすがにその威容に圧倒される。横浜のランドマークタワーを横に倒した大きさと表現していた文章が記憶にあるが まさにそんな感じ。
MSCクルーズ社の記載に寄れば 2008年建造、137.936トン。乗客定員数 3,274名(2名1室利用時) 乗務員数 約1,370名
全長/幅/高さ 333,30m/37,92m post panamax/66,80m
デッキ数 18階(お客様用デッキ数:14デッキ) -
⑰
船内へのセキュリティチェックのところから 乗船手続きで渡されたクルーズカードが効能を発揮しだす。
まずは身分証明。そして船室のカードキーとして。
他にクルーズカードには 夕食レストランの時間順位、指定レストラン名、テーブル指定、避難指定場所等が記載されている。 -
⑱
そして 船内の吹き抜けホールを通り、私たちの部屋 9階の中央付近を目指す。
私達の乗船順番が早いのか、ホールには乗客の人影が見当たらない。 -
⑲
部屋は想像していたより 第一印象は広い。
約22㎡。 -
⑳
収納のキャビネットの棚も充分。満足。
船外の店から運んできた 水が重たかった。(左下に見えてる。)
結果的に 船内でも水は買えたが、普通の蛇口の水は何故か美味くなく 購入した6本の水は最終日には 飲み干してしまった。 -
21)
ベランダから 岸壁側を写す。ベランダで籐椅子に二人座れる充分なスペース。 -
22)
洗面所・トイレも機能的。 -
23)
風呂はシャワーのみで 疲れは取れないが贅沢は言えない。 -
24)
電源も機能的で 4口が机の前に合った。
金庫も使い易く便利。WIFIは使用料が高くて使わず。
TVは使い勝手が悪くて、CNNのみ視聴。
また 毎夕方ポットでお湯をサービスしてくれた。煎茶パックを持参すればお茶が飲めた。(残念)
殆んど待たずに 暫くしてスーツケースの荷物を部屋まで運んで来てくれる。 -
25)
それから MSCの船内日本人添乗員の方から 日本語の説明会が開催され それに参加。
説明の要領が悪いのか、私の睡眠不足の疲労の為か、後ろの立席のお喋りが気になるのか よく分からないイライラする説明が30分程あり、その後 本日は自由席なので 早めの夕食会場での食事を勧められて食堂に向かう。
説明会で 今回のクルーズ乗船の日本人が初めて一堂に会する。私達と同じような年代の老夫婦ペアが多そうだが、若い人や 多様な組み合わせの方々や 個人客も散見され 150名を超えている感じがする。 -
26)
日本人同士4組のペアとテーブルを囲み ディナーが始まる。日本語のメニューが配られ 注文は指さしで簡単。(但し、乗船中 注文と異なった料理が運ばれてくることは 偶にあったが。)
そして私の前に運ばれてきた 冷凍じゃがいもコロッケの前菜。日本の大衆食堂の昼の定食ランチと同等レベル。喧騒の中の食事で 社員食堂のランチを思い出した。
メイン料理に入る前に 館内放送で 本日乗船の日本人乗客は 避難訓練の為に 部屋に帰り救命胴衣を持って 30分後に各集合場所に集まるように の指示が流れる。
一瞬 席を立つかどうか迷ったが 只今食事中だとの 同席者の声もあり そのまま食事を続ける。結果的に私の周囲の日本人達は 中断して訓練に向かい、結局 避難訓練は中止になり また食事に戻ってくるなど 落ち着かないこと甚だしい。
クルーズ乗船初日の食事は 量はあったが記憶に残る不味いものだった。 -
27)
明日のマルセイユの観光手配だけは決めておこうと 簡単な市内観光のコースを選び、船内のエクスカーションデスクで申し込む。
デスクには客も少なく 私の下手な英語だが対応してくれた。
写真は その入手したエクスカーションの切符。 -
29)
毎日 夕食の頃 部屋に日本語の船内新聞が届けられる。
明日の天気、最終乗船時刻、寄港地の簡単な説明、エクスカーションの集合時間と場所、エンターテイメント ハイライト、サービスと営業時間、本日のアクティビティー 等が記載され行動の情報源となる。(想像以上にクルーズ生活に貴重な情報の数々。)
明日の計画を 軽く立て 早めに眠る。眠たくて 船の揺れは殆んど感じない。 -
3)5月30日(土)
①
前夜に手配して 朝食はルームサービスで頼む。
風が強くてベランダのデッキでは食べられなかったが 凄く贅沢な気分。(配達料3.5ユーロは掛かったが。)
深夜 体に微振動らしきものを感じ目覚めたが、直ぐ船上と納得して眠る。
私達は 航海の体の負担をそれほど感じていなかった。
ただ後日知ったが 「吐き気や。めまい」の負担を感じて船内の医務室で 治療を受けた女性の方もいらした。船室の位置とか 個人の体調にもよるらしい。 -
②
食後 まず広い船内を 上階から探索。15階のデッキでは もう日向ぼっこの人達が居た。
良い位置のチェアーを確保するためには キャビンに備え付けの黄色のバスタオルを持参して 椅子に置いておく必要あり。(マナーでは30分程度の不在は許されるらしい。実際はそれ以上のタオル放置。)
私はそれを知らずに他人が確保しておいたバスタオル敷きのチェアーに腰かけ 軽くクレームを受ける。 -
③
14階のプール横のステージでは 朝の体操が始まっていて それに参加。結構気持ちよく体を動かせれる。 -
④
途中で 女性のインストラクターに変わり、動きが激しくなる。40分位の運動で私はギブアップ。
妻は続けていたが、私は船内探索に戻る。 -
⑤
15階の屋上階後方には 球戯場。子供用の球技のスペースも。 -
⑥
16階の最上階には 有料のデッキゾーンも。
(結構、船内には有料エリアや有料サービスがあるので気を遣う。クルーズカードとサインで利用は簡単だが。) -
⑦
子供用のウオータースライダーがあり、係りの人に滑れるか尋ねたら 断られた。(残念)
実際 船内では 子供の数が多い。その他にも 子供用の施設が充実していて驚く。後日知ったが 18歳未満の子供は無料だとか。なるほど と納得。 -
⑧
南仏の陸地が近ずいてくる。(15階のデッキから) -
⑨
中央の屋外プール付近は客で一杯。ジャクジーも温泉気分で浸かっているように見える。 -
⑩
プール横のステージでは ラテンダンスの簡単な講習が続いている。
上階のレーダー施設の向こうに(船首側) 少し見える部分がヨットクラブのエリアで 私達通常料金利用者では入れないエリア。 -
⑫
ランチは14階のビュッフェレストランで食べる。
自由席で、早く食べられる。
コーヒーも無料で利用できるので 嬉しいが、
周囲がざわついて落ち着かない。
ランチ後 申し込んでおいたエクスカーション集合場所に。 -
⑬
スマフォのGPSと地図で見れば 現在地(船の停泊地)は 旧マルセイユ港からかなり離れている。(4キロ以上)
飛行機と似た感じで 実際の船の接岸ドッグが直前にならないと判明しないのは 若干不便。
下船して 何処を見学するか 個人でルートを立案するのが 最初は不安。
(今回もスマフォのMAPSMEアプリには 世話になったが、途中でアプリが使えなくなった時の危険も経験した。) -
⑭
船内の指定集合場所で 予約名簿の確認をされ、胸に付けるワッペンを配られる。
そこから コース別のプラカードを持った係り員に先導され、下船ルートに至る。
船内で短時間に 多数の乗客の移動が複雑に発生するため、結構工夫された行動様式。 -
⑮
私達の下船した出口。この先にマルセイユ市内観光行きのツアーバスが待っている。
大型バスには英語の説明グループとスペイン語の説明グループが乗っていた。
交代で 女性現地添乗員の方が説明をしてくれる。
英語は分かり易い。 -
⑯
ロンシャン宮で写真撮影のみ。 -
⑰
偶々見かけた 古そうな教会。また カトリックの国に来たなぁという感じ。
日本に帰り 調べたら「サン・ヴァンサン・ド・ポール教会」らしい。 -
⑱
バスの車中から見かける
どこか 荒んだ港町の雰囲気を漂わせる街並み。
落書きとゴミの散乱、
シャッターの降りた閉店風の店並。(土曜日なのでか?) -
⑲
南仏の地中海の陽光は輝いているけれど。 -
⑳
お目当ての「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院」
塔の上には聖母像 -
21
「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院」の高台からは マルセイユ
の街が良く見える。
西側の旧港の辺り。想像していたより 小さな旧港。 -
22)
南側 地中海が広がる。 -
23)
綺麗な住宅が緑の丘陵地帯に広がる。 -
24)寺院の中は すっきりしていて 現代に近い感じ。
-
25)
帰りに もう一度 聖母像を見上げる。 -
26)
マルセイユ観光地を巡る「プチトラン」が寺院の下の駐車場の所まで来ていた。
その日の夕食の席での話で、船のシャトルバスを利用して 旧港まで行き、プチトランに乗り換え「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院」を訪問したと ご夫婦が話していたがそれが一番普通の観光の方法かも知れない と思った。
また 年上の老夫婦の方は 旧港から歩いてこの寺院を観光されたそうだが 凄くお元気と驚く。私には無理。 -
27)
バスは旧港まで 昔からの細い道を下る。降りて 港を見ると 写真のようにクルーザーヨットで海は埋められている。
ここマルセイユは 昔の多くの日本人が欧州訪問の最初の地として降り立ったところとの記憶があり 感慨を共有しようと思っていたが チョト違った雰囲気。 -
28)
旧港の反対側の坂からも 「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院」の高台がよく見えた。 -
29)
坂の中腹の由緒あるらしい 建物があったので写す。 -
30)
ツアーバスは海岸通りに停車して 我々の自由探索時間(約40分)を待ってくれていた。海岸通りには土産物店、飲食店が並ぶ。
現地添乗員さんは 観光客を無事に船に連れて帰る責任があるのか 人数の確認を各ポイントでしていた。
また ツアーバスの客は シャトルバスに乗り換えて ゆっくり船に帰っても良いと言うことであった。(実際は 誰もそうしなかったが。)
船からタクシー利用したり、一般バスを利用して 旧港辺りに来た人の話を後日聞いた。また 西欧人客は徒歩で接岸地に近い所を歩いている人も多く見かけた。どこに行くのだろうと疑問だった??? -
31)
バスで帰る時 旧港から少し離れたところに クルーズ船も接岸出来て ショッピング等のアーケードが併設された港湾施設を見かけて 写す。
高価なクルーズ船はこういう所に接岸して 観光客の便宜を図るのだろうなと勝手に想像する。
今回の約4時間のバスツアー代一人約50ユーロー。安全な旅といえば安全だが、空調の効いたガラス越しに街を眺めている感じ。面白味は少ない。 -
32)
写真のように 港では 新たにマルセイユから乗船してくる人の横を 私達は帰船して行く。マルセイユからの客は少なそう。 -
33)
夜のカジノは写真撮影禁止だとかで、昼間無人の時に写す。
夜もそんなに繁盛している風では無かった。日本人がカジノに参加している姿を見かけなかった。 -
34)
本日のディナーは フォーマルデイでレストランの指定テーブル、指定時間で開始。初体験なので参加してみる。テーブルは 私より少し若そうなご夫婦と歳を召したご夫婦の日本人の三組夫婦。
ネット等の事前情報でカジュアル船のフォーマルは気にする必要がなくて 極端にはTシャツの方もいたとの記述を真に受けて 私は軽い上着と言えば言える程度のものしか羽織っていなかった。
ところが レストランの日本人男性は最低でもネクタイ、シャツに背広。タキシード着用の方も見かける。
私は日本語コースメニューから ダイエットでメインを外して 注文。
写真は前菜。昨日よりはましだが 料理の鮮度には疑問が残る料理。 -
35)
開き直ってはみたが、食卓の会話がどうしても 服装の場違いに引っかかり卑屈になる。相席の方は良い方がただったが アルコールを飲めない私には 会話も初対面の固さを柔らかくすることができない。
写真は レストラン内の風景をモザイク処理。女性の方では和服を召された方もいた。西欧人はこの日の衣装を楽しんでいる風に決めている。
レストラン側は 色々と盛り上げてくれるが、私は乗れないまま。 -
36)
最期のデザートも大味で 水だけの飲み物にちょっと落ち込んでディナーを後にした。
外は午後8時頃で まだ明るく、船はフランスを出てイタリアに向かっていた。波は静か。 -
37)
それから
夕食で相席した方が 話していた エンターテイメントをシアターを見に行く。
言語の異なる人達が乗船しているからか 言葉を超えたパフォーマンスで それなりに楽しまさせてくる。
最初 去年見たモスクワのバレーと比較して 田舎芝居と妻に言ったら、幾ら払っているのと詰られた。確かに妻の言う通りで 夕食後 ショーを見て、終われば直ぐに自室で眠れる手軽さも含めて ショーは楽しく 乗船中 毎晩演目が変わる楽しさも加わって、私は充分満喫した。 -
4)5月31日(日)
①
目覚めて 船室のカーテンを開けると イタリアのジェノバの辺りが見え、船はどんどん近づいて行った。
デッキから 接岸間近を写す。
事前情報で得ていたように ジェノバは接岸地から 歩いて観光できそう。 -
②
早朝一番の食事を14階のビュッフェで取る。充分だがそれなりの食事。 -
③
まず 船を降りて丘の中腹の「キオッソーネ東洋美術館」へ向かう。
(船着き場には 乗り降り自由の観光バスが停まっていて 多くの乗船客が利用していたが。)
途中 日曜日の教会を寄りながら 事前にネットで調べていて 見覚えのあるロータリーに出くわし それでも美術館の位置が分からなかったので 通りがかりの婦人に道を尋ね 教えて貰う。
この 写真のモニュメントの丘の中腹にあった。 -
④
美術館入口の案内図。
一帯が公園となっている。
東洋風の滝庭園の方ではなく 左の方を登って行く。 -
⑤
小さな美術館の入口。日章旗も掲示されていた。 -
⑥
ネットに寄れば
版画家で画家でもあったジェノヴァ出身のエドアルド・キオッソーネ(1833‐1898)は、1875年から98年にかけて日本に滞在し、財務省紙幣局を16年間指揮していました。この日本滞在中に彼は東洋の芸術品の数々を集めました。大半が日本の美術品(絵画、版画、彫刻、磁器、漆器、武具、青銅品、能面、楽器、生地など)ですが、中国の作品も収集しています。館内の展示は5つのギャラリーからなっています。とのこと。
春信や歌麿、広重、北斎の作品もあるらしいが、常設展示はされていなかった。
館内撮影禁止。 -
⑦
展示物は はっきり言って期待外れだったが、丘からジェノバの街が見渡せた。 -
⑧
美術館を出て ローマ通りを歩こうと すぐコルヴェット広場のところを右折すると 建物入口が有り、何やら催しをやっている雰囲気なので 入口の人に了解を求め、中に入る。
すると説明の若い女性ボランテイアの方が 現われ 中を案内してくれる。 -
⑨
建物の中は 自然光が入る 空間があり、凄く現代的。 -
⑩
当時のジェノバ港の様相を現した絵も。 -
⑪
当時の豊な生活が偲ばれる シャンデリアも。
日本に帰って調べると、此処は「ドリア・アントニオ邸」でユネスコ世界遺産に登録されているジェノヴァのパラッツィ・デイ・ロッリ(ロッリの邸宅群)の42の建物のひとつらしい。
建物のメインの部屋に 随分現代的な 視聴・会議設備が備えられていて不思議だったが ここは現役の県庁施設として 今も使用されているらしい。ちょっとイタリアの底力を知る。 -
⑫ ローマ通り?は両側に 美術館が並んでいる感じで、入口にボランテイアの人がいて 勝手に入って行ける雰囲気。
私は舞い上がって 片っ端から 由緒ありそうな建物を見物に入る。
いわれも何も知らないのに。 -
⑬
個人に属する建物なのに 中の装飾物が 煌びやか。
富の蓄積が半端ではなく、一方で実用的なところも。 -
⑭
一部有料で入らなかった建物もあったが、中庭を重視した構造が斬新。 -
⑮
偶然だが 私の訪れた日は 「ROLLI DAS」の5月30日から6月2日にあたり 若い学生の無料ガイド日だったみたい。それで街を挙げての観光客歓迎の様子。ラッキー。 -
⑯
後日調べた ウキペディアによれば ジェノバは1100年頃から自治都市となり 他の海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増して 16世紀には金融業で財を成した貴族が多く現れ、繁栄がピークに達した そうだ。「華麗なる都市」と言われたのも納得。
日本では 規模は異なるが 堺や長崎が 独特の文化を生み出しながら 瞬時出現したのと似ていると思った。
この写真の建物の中庭から 地下の一部が見えた。西欧土木の先進性を感じた。 -
⑰
ただ 中心部を離れた裏通りは 豊かそうでない有色人種の生活の場があり結構厳しそう。
そういう場面は トラブルを恐れ 写真を撮りづらい。
帰途 スマフォの操作を誤り、GPSからサポートされる現在位置が消滅して復帰できなくなった。焦ったが ジェノバは分かり易い地形で 難なく船に帰れた。 そうも行かない都市の場合を考えると 恐怖だった。文明の利器の故障の場合にも備えておかねばと思った次第。 -
⑱
船で遅いランチを食べ、私は少し眠る。
船に帰れば いつも何かが食べれる安心はある。 -
⑲
私が 少し眠っている間に 妻が洗濯をしておいてくれた。
洗濯はセットで料金を払いお願いする手段もあったが 妻がやってくれた。
写真は 引っかけるマグネットフック。ネットで持参を勧められたが それなりに便利だった。船室に伸縮の洗濯ロープは準備され、ハンガーも多量にあったが。
その他に 船室用のスリッパも日本から持参して正解。 -
⑳
船内英語放送で 避難訓練の連絡があり、部屋から救命胴衣を持って参加。
大体 皆の流れに沿っていれば 終了する。所要時間約30分。写真はその一コマ。
避難訓練の前、エクスカーションデスクで明日のツアーの相談をしようと私は並んでいた。私の順が来た時、係りの男性は避難訓練の時間が迫ったことを告げて打ち切り。避難訓練が終了して 私はもう一度初めから並んだが 再開されたのは20分後。係りの人に落ち度はないが 何となく大事にされている感じを持てなかった。西欧流の規律の押し付けを感じた。 -
21)
船はジェノバを出航する。岸壁では 日曜日の為か 市民が多くいて 手を振って見送ってくれた。 -
22)
船上では 今日も夕方のダンスレッスンが行われていた。 -
23)
今日の夕食は ビュッフェで軽く済ませる。
夕刻 船内誌といっしょに 部屋に私達を船搭乗時写した写真とCD等のセットが届けられ、中にサインの要請が書いてあった。翌日の船内誌で 不要の場合はそのまま部屋に置いて置けばよいと書かれていたが、私達は即日 船のレセプションに「注文していない。」とセットを戻した。レセプションは乗客の諸苦情処理係のはずだが 忙しいのか 自分で写真屋に持って行けと言う。突っぱねたが その他にも レセプションに日本の感覚で頼むと裏切られることがあった。 -
24)
食後 始めて5階の喫煙ルームを訪ねる。どちらかと言うとバーのイメージ。
船内は喫煙場所は限られていて かなり制約が厳しい。
喫煙人口が減っているのを実感する。 -
25)
本日もショーを見て 早めに眠る。 -
5)6月1日(月)
①
朝食をビュッフェで食べ、プール横でフィットネスの体操をして、本日はプールで少し泳ぐ。海水で冷たい。余り大人は泳いでいない。ジャクジーも日本の温泉と違い温度が低い。
ジャグジーを浸かっていたら すぐ下の階段のところで 白人の年配の婦人が濡れた木製のステップに足を取られ、転倒。暫くして 助けられて立ち上がられたが 船内は やはり段差が多くそれなりに注意が必要。 -
②
船内は広くて 大体の配置が頭に入るのに 数日かかる。自分の部屋が右舷か左舷側か、(部屋番号が奇数か偶数かですぐ分かるが。)
また 目的の場所が船首側か船尾側か (間違えると300メートル 歩かなければならない。)
船内にそれなりに エレベーターは配置されているが 客数も多く、動きが集中されるために エレベーターを呼んでも通過される場合がある。日本の慣れ感覚から エレベーターの制御も悪そう。私の部屋は9階で丁度 中央階付近なので 面倒になり 上下階に階段で移動する場合が多かった。
勿論 車椅子の方も沢山おられたが 船内をそれなりに動こうとすると 結構な運動量とリスク負担があった。
その意味で 無駄な動きを失くすために 早めに船内探索をする必要が勧めらていたが 私もそう思った。 -
③
船は イタリアの切れ目の少ない連続する街並みを見ながら 南下し続ける。
この地は なるほど 昔から開発されてきたのだぁと思う。 -
④
本日のランチは レストランで エクスプレスランチを頼む。食事の所要時間が30分以内の感じ。予定があると便利。 -
⑤
日本人客と同席にはなるが、
自由席で 落ち着いている。 -
⑥
食事を取るうちに ナポリの港(サンタルチア港?)に入港した。
後ろに卵城?が見える。 -
⑦
ナポリでは 観光に半日しかなく、「青の洞窟」は 同じようところを又見られるだろうと思い、「ポンペイ遺跡見学ツアー」を選んでおいた。
港でエクスカーションツアーのバスから見かけると、ここでも徒歩観光の人が多そう。
ツアーバスは英語ツアーとドイツ語ツアーが同じグループで一人の男性ガイドさんが担当。 -
⑧
車中 ガイドさんの声は低く、イタリア訛りで理解できない。いやに「ピッピー」「ピッピー」と言い 何となくトイレに関することだとは分かったが意味不明。
(後刻船に帰り 語学のしっかり分かっていそうな日本人女性に尋ねたたら フランス語で「おしっこ」だそうだ。)
同じガイドが 英語からドイツ語に切り替えて説明するから 余計に 聞いている頭が疲れる。
バスを降りて イヤーフォンガイドになり音量は増したが 説明も難しくなり理解できない。写真は遺跡入口。 -
⑨
想像はしていたが 遺跡は広い。
79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで有名なポンペイ遺跡。
その遺跡に太陽の光が降り注ぐ。風が心地良いのが救い。 -
⑩
紀元1世紀頃の文明が随分発達していたのは 通りの遺跡から分かる。
その通りを 世界各地の多くの観光客が歩く。 -
⑪
噴火灰の空洞に石膏を流し込み 当時を再現した像。鼻を押さえているのが分かる。 -
⑫
浴場の飾りの像も随分リアル。 -
⑬
当時の人もサウナは好きだったみたい。 -
⑭
車道と歩道が区分され整備された道と 目抜き通りの建物廃墟の 約10キロ向こうに 噴火したヴェスヴィオ火山が 今は静かに見える。 -
⑮
由来は説明を聞けなかったが 遺跡にあった彫像。当時の避難を復元したものか?
当時の床のタイル状の張り方も 意図が含まれて装飾性を追求している。 -
⑯
自然が少しずつ復元して 火砕流の遺跡の中に花も咲き始めてていた。 -
⑰
出口でもう一度振り返れば 静かなヴェスヴィオ火山の風景は良く見かける風景。
それが一度爆発すると 一帯の人間の生活を 一瞬に変えてしまう。その恐怖を改めて思った。 -
⑱
また 来た高速道路をナポリにもどり、船に帰る。
イタリアのガイドさんも 訛りは酷かったが 親切な人だった。
船室に帰ると いつも部屋は実に見事に綺麗に片付けられている。
夕食後に戻っても ポットのお湯がサービスされ、ゴミは捨てられ、タオルが再度新しくなっている。またパジャマが 少しデザイン化されて折りたたまれベッドに置かれている。プロの仕事と感心した。 -
⑲
「ナポリを見ずして 死すべからず。」と言われているので ナポリ出港時の夕刻 デッキに上がって見渡したが 落日もあまり感銘を受けなかった。残念。 -
⑳
ナポリ港の落日。 -
⑳
本日は「ホワイト・ドレスコード」の日。夕刻船内は何となく白っぽい。
本日の夕食から レストランの定番席で頂く。やはり 慣れもあって 落ち着いて楽しく食べられ始めた。旅の日を重ね 同席の方とのお互いに話も弾む。夜はソプラノとテノールを聞く、かなり本格的。
旅も半分は終わった。早い。 -
6)6月2日(火)
①
シチリア沖の朝焼け。静かな海。(船室のデッキから) -
②
シチリア島を見ながら朝食をレストランで。
レストランの従業員の方も慣れて来て お互いに意思疎通が着実。
例えば私はいつも 飲み物はステルの水で 夫婦で小さいボトル一本の注文だけとかが分かってくる。 -
③
シチリアのメッシーナー港。 -
④
メッシーナ港に降り立ち ファンタジア号の写真を撮る。
夕食の時 クイーン・エリザベス号が停泊していたとの話題が出て 後で写真を確認したら 確かに前方に クイーン、エリザベス号が停泊している。
これも 意味ないがラッキーの気分。 -
⑤
本日はタオルミーナへのエクスカーションに参加する。
写真は船外で再度集合している様子。今回も英語、ドイツ語グループのバス。
乗船客はドイツ語圏の人の割合が高そう。ドイツがヨーロッパの経済機関車の役割を果たしていると言うことか。 -
⑥
ツアーバス乗車後 車内から 通りの反対方向に一般の乗り降り自由な周遊型の赤い観光バスが見えたので写す。寄港地では大抵の所でこの種のバスを見かける。多分料金が安いのであろう。ちょっと冒険だが 寄港地観光に使ってみるのも面白いかもしれない。 -
⑦
バスは高速道路を利用してタオルミーナに近づく。
男性のガイドさんは 昨日より分かり易い英語。シシリア島は今でも映画「ゴッドファーザー」の話題が出るのか その説明がある。
島の風景は典型的な感じで、沿岸部だけに集落が張り付き、山側は一部に果樹のみが植えられている 貧しそうな風景。でも陽光だけは豊か。 -
⑧
バスは結構 坂道で揺れ続け、私達の通路を挟んだ前方横の 西欧老人は席を離れ階段下で 気分が悪くなったのか戻し始める。年齢的に同じ世代と思わるので 我が身に起こったらどうしようと不安。
バスは間もなく タオルミーナの駐車場に停止。老人は観光には行かず、付近で待機。
駐車場から 遠くに標高400Mのタウロ山が見える。 -
⑨
小さな石造りの門を潜り、雰囲気のある古い通りに出る。 -
⑩
17世紀に建てられた「サン・ジュゼッペ教会」 -
⑱
通りには 古くからの路地が繋がり、建物から、窓辺から花が咲きこぼれる。 -
⑲
遺跡の門を潜ると、ちょっと先に崖の上に建つギリシャ劇場が広がる。振り返って門の向こうに ちょうどタウロ山が。 -
⑳
劇場の舞台部分の壊れた壁の向こうにもタウロ山が見える。 -
21)
舞台の袖の一部壊れた部分から上に上がる。 -
22)
舞台後方に上がり、劇場全体を見下す。円形劇場の全貌が見える。風景に溶け込んで雄大。 -
23)
劇場の後に 振り返れば地中海が広がり、温かいのかサボテンが自生していて 黄色い花を咲かせている。 -
24)
舞台では現在も使用されているのか音響施設は現代のもの。
ここで 演じられるなら 私も見てみたいと思った。
此処で ツアーは自由解散。下の駐車場での再集合時間を指定される。 -
25)
ゆっくり 劇場を出たところに 赤い花が咲いていた。 -
26)
また 趣のある路地を眺めながら来た道を戻る。 -
27)
3時間位の滞在時間だったが ここは 宿泊して滞在しても楽しめそうな感じ。路地の奥に広がりを感じる。 -
28)
路地には生活臭のある 八百屋の販売車も。 -
29)
実は この写真の前に 集合ギリギリの時間に駐車場に戻り、バスに乗り込んだ。他にもう一組しかいないので ちょっとおかしいと思った。バスの時計が目に入り、一時間前に私達は来てしまっていたのに気づく。腕時計の時間を見誤っていた。
儲かった気分で 駐車場の上の喫茶店に戻り ガイドさんの案内してくれていた この街で一番美味しいという ジェラードを注文した。安くて美味しかった。船のアイスクリームとは比較にならない。地味だけれどイタリアの本物。 -
30)
それから ちょっと時間があったので 広場まで戻り 周辺を見て回る。 -
31)
出会ったシチリアの猫。どこの猫も相変わらず私を無視。 -
32)
又 高速道路をメッシーナ港に戻る。 -
33)
道路の下に線路が有り、鉄道が通っているみたい。かなり高台に設置されているが、津波の恐怖も感じた。また この海はアフリカからの密入国ルート。現代の地中海は波静かに見えるが色々とある。 -
34)
帰ってきたメッシーナ港は坂の町。
寄港地周辺を徒歩の探索で過ごした人の話に寄れば、あまり面白くは無かったとのこと。 -
35)
船に戻り、
1時45分位に船内のレストランに行ったが、営業時間は終了。ビュッフェレストランで食べる。一杯の客。
食後 汗を掻いたので 本格的にシャワーを浴び、少し眠る。(夜眠る前のシャワーを簡単にして、夕食前のシャワーに変えて、気分的に夕方からスッキリできたのは良かったと思う。) -
36)
夕方 船はメッシーナー港を出港。
順調だが なんかスケジュールに追い立てられている気もする。 -
37)
本夕は船長招待?パーティとかで、各バーの定時間帯で飲み物が無料になる。 -
38)
私もジュースを頂く。
本日のドレスコードは2回目のフォーマル。
変え様がないので シャツだけ白いシャツにした。 -
39)
夕食レストランに行き フルコースのディナー。
私はベジタリアンのコースがあるのを知り それにする。
結構美味しい。
いつもの 相席の人との気持ち良い会話も弾む。旅が進み会話の内容も自然に増す。 -
40)
船外では シチリア島が段々離れて行く。夕暮れ。 -
41)
今夕は お酒も入り それなりに着飾った人も多く 船全体が華やいでいる。
西欧人は全体に盛り上げるのが上手いなぁと思う。
船長との記念写真撮影会も行われていたが 私はパス。 -
42)
本夕は シアターの演目の前に 船の責任メンバーの紹介と挨拶がある。写真中央が船長。船長挨拶に各国別の挨拶をいれ、5か国に通訳するので大変。勿論日本語はあるが、中国語もあり、船内でそれなりの中国人客数が見かけた。
本日のシアターの演目は フランスのカンカン踊り。上品に盛り上げてくれる。
終わって 広い 夜の甲板を散歩。寝付けないのか 多くの人が船室の外に出ている。 -
7)6月3日(水)
①
朝焼けのマルタ島バレッタ港へ入港。 -
②
船は湾内に入り、私の船室から「グランド・ハーバー」側が見える。
最初こちらが 観光地側かと誤解していた。 -
③
タグボートもなく、狭い湾内を巨大な船がゆっくり回転を始める。
写真は今入港してきた湾の入り口方向。
どうも この巨大な船はサイド側にもスクリューがあるみたい。 -
④
90度回転し、接岸ドッグが見えてくる。
こちら側が城砦都市の方向。 -
⑤
180度回転を終わり、船首が入港してきた 湾の入口方向を指す。 -
⑥
更に船は岸壁に向かって 直接幅寄せしていく。
小さなパイロット船が役目を終えてか 着岸して行く。水先案内人の船の飛び移りがあるらしいが 私に船室からはそれは見られなかった。 -
⑦
事前にネット情報で バレットの観光は徒歩で行けると判断していたので ツアーには申し込まずに 出たとこ勝負で臨む。朝食の時 同席した若い夫婦の方から バレットの地図を見せて貰って 説明を聞いたが もう一つ分からない。
幸いなことに 船を降りたところに 観光案内所があり、取りあえず私も地図を入手。
多くの乗船客が同じ方向に歩くので それに従って私も歩く。 -
⑧
どこからこの崖を登るか疑問だったが 道に沿って歩くと 道路ガイド標識にも記載されている通り、有料のリフトが有った。それを利用する。 -
⑨
崖の上から 下を見下すと 結構の落差。 -
⑩
接岸している船の方向を 城壁の上から 写す。 -
⑪
湾の入口方向を写す。昔の大砲の列。ここは現在 見晴らしの公園になっている。 -
⑫
こちらの城壁の上にも大砲の列。
結構強固な守りの砦 -
⑬
早朝の市街。建物すべてが歴史遺産の雰囲気。 -
⑭
街並みは 古いが 道路は碁盤の目に整備されている。 -
⑮
この一角は 歴史ポイントだろうとは理解したがパス。 -
⑯
偶々出会った街中の教会「カーマライト教会」 -
⑯
惨劇を表現した彫像と 紫の花が満開だったので写す。 -
⑰
突如に近く 腹痛。慌ててトイレを探し 地元の喫茶店に入る。難なきを得たが海外旅行の怖さを思い知る。
写真はその時 注文したカプチーノ。安くて美味だったが。 -
⑰
少し元気を取り戻し 他のツアー客が利用していた美術館らしき建物に よく分からず入る。
受付でイヤフォンガイドを借りて 日本語説明を聞きながら中に入ると 内部は驚くような豪華絢爛な装飾。 -
⑱
「聖ヨハネ准司教座聖堂」であった。
ウィキペディアによれば「1573年から1578年にかけ、マルタ騎士団によって建てられた カトリック教会の聖堂。」 -
⑲
騎士団を構成した騎士が8言語ごとの騎士館に分けられていたのにならい8つあり、それぞれの守護聖人に献堂されている。 -
⑳
正直なところ 私には 十字軍とか、騎士団、とかの知識が無く、分からない。ただキリスト教が莫大なお金を集めていたのは分かった。 -
21)
建物の外観はそれ程でもないが 中味は衝撃的であった。
今回の旅で
作家の塩野七海さんがイタリアに引かれる謎が少しわかった気がした。
イタリア史はスケールが大きくて深く、どこまでも興味が途切れないのであろう。 -
22)
また 船に戻る。
船は13:00にバレッタを出港。 -
23)
レストランでランチディナーを頂き。 -
24)
レストランの この日あたりから 料理の繊細さが感じられてくる。
食事を楽しめられてくる。 -
25)
食後の運動に ジムに行き 自転車を漕ぐ。
室内に体重計があり 量ると増えていなかった。
ラッキー
(運動靴を持参しないと ジムに入室できないみたい。) -
26)
夕方 ビュッフェで アフターヌーンティーを提供している案内が有ったようなので 行ってみる。あることはあったが 内容はもう一つ。 -
27)
本日のディナーはイタリアンデーとか。イタリアの国旗を模した赤、緑、白を意識した装いが推奨されている。
レストラ内もその雰囲気。 -
28)
ウエイターの様相もイタリアンカラー。ナプキンも赤・白・緑。
乗客も 何処か一部に赤・白・緑を付けている人多し。 -
29)
写真は 船内レストランの日本語メニュー。(英語併記)
日本語表示があるので楽。指差しで注文が出来る。
但し、ウエイターが取り違えることは 稀にあった。
ぐだぐだ書いてきたので 旅行記作成のの操作が重たくなってしまった。
済みませんが 続きの行程(8日目パルマ・デ・マヨルカ)からと旅のまとめは続編で。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- パパさん 2017/04/14 21:42:41
- こんばんは。
- アーサーさん
旅行記を楽しく読みました。
タオリミーナは、去年いきました。
私たちが行かなかった場所もあり再発見でした。
一つお聞きしたいのです。
食事はそれなりとのコメントがありましたが、美味しい、それとも、お世辞でも美味しいとは言えないどちらでしょうか。
また、中国人の方が多いのでしょうか。
お教えください。
BY パパさん
- アーサーさん からの返信 2017/04/15 11:11:40
- RE: こんばんは。
- > アーサーさん
>
> 旅行記を楽しく読みました。
> タオリミーナは、去年いきました。
> 私たちが行かなかった場所もあり再発見でした。
> 一つお聞きしたいのです。
> 食事はそれなりとのコメントがありましたが、美味しい、それとも、お世辞でも美味しいとは言えないどちらでしょうか。
>
> また、中国人の方が多いのでしょうか。
> お教えください。
>
> BY パパさん
パパさん
お問い合わせありがとうございます。
タオルミーナでは食事をした記憶が無いのですが。
戦後の混乱期に育った年代のせいか 私は食事の評価に余り自信が持てません。「それなり」と書いていたとすると 普通は「もう一つ。」の意味に近いと思います。
「中国人の方・・」 一般的に 中国人の人口が多くて 豊かになりつつ有りますから 色んな所で中国人に遭遇する可能性は高くなっています。ただ 一方で 豊かで、知的な中国人に遭遇する機会も増えています。どうしても避けようとすれば お金は掛かりますが 旅行のグレードを上げるしか方法が無いと思います。それでも不躾な 人に会う機会はありますが 頻度は減ると思います。
それでは。
-
- hot chocolateさん 2015/07/11 23:55:15
- 私も、ファンタジアに乗っていました。
- アーサーさま
初めまして。
私も5月28日成田出発の地中海クルーズに参加しました。
同じ飛行機だったのですね。
多分どこかでお目にかかっていたかもしれませんね。
地中海クルーズといえば、優雅なイメージですが、カジュアル船という事もあり、毎日の寄港地観光とショーで結構忙しかったです。
日が経つにつれ、ディナーの同席のお仲間や日本からのゲストの方たちと親しくなり、楽しさも増してきました。
旅行記は、まだマルセイユまでですが、よろしかったらご覧になって下さい。
hot chocolate
-
- 一姫さん 2015/06/16 21:52:24
- 参考になりました。
- アーサーさん、10月に両親を連れて行くので、非常に参考になりました。
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