2015/01/19 - 2015/01/19
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ちびのぱぱさん
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まさに世界遺産の名にふさわしいお城です。
今年3月27日にグランドオープンするらしいですが、一足先にその光り輝く偉容を眺めてきました。
グランドオープンした後は、すごいだろうなあ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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姫路城の見方
岡山からJRで、姫路駅には12時39分に到着いたしました。
すでに駅を出たあたりから、国宝姫路城が見えちゃってます。
長い駅前通を歩くにつれ、次第にその姿が大きくなって行く。
これはまずい、と思いました。
昔これで失敗しました。
妻をナイアガラの滝に連れて行ったとき、車で遠くからちらちら見える近づき方をして、目の前に来たとき、
「これ?」
と、言われてしまいました。
自分が初めて見たときは、バス停で降りて歩いてゆくと、突然眼下に巨大な滝が現れて
「うわー!!」
となりました。
「これ?」
と
「うわー!!」
の違いは大きいです。
しかし、姫路城に関してはそれは杞憂でした。
この城に関しては、きっと説明は要らないのかも知れない、と思いました。
姫路城について何も知らなくても、歴史などに何の興味が無くても、ただ見とれることが出来る。
日本人の誰もが、いや異国の人たちでさえ、ここのすごさを認識できる。
そういう建物です。 -
お城の前に到着すると、道を隔てておみやげ屋さんや駐車場などがありますが、あっさりとしています。
なにが「あっさりと」なのか、考えてみると、もっとごちゃごちゃしているんじゃないかと自分で思っていたようです。
どこか道の駅みたいで、……意外な気がしました。
元気なおばちゃんが、団体さんについてお店から出てきて、
「信号がちゃんと変わってから渡ってね。けっこうあぶないから。」
と、笑顔で注意していました。
さあ、入ってみるか。 -
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ああ、近くで見たら、こんなに大きかったのか。
これを見たかったのに、見られずに帰った外国の方たち、気の毒なことをしたなあ。
今回、和歌山城、松山城、高知城、岡山城とお城を見てきましたが、この姫路城はまさに城の中の城ですね。
妻も、少しは城を語れるようになったともうしております。 -
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このすごさをどう表現するか。
がっかり度でいうと、はりまや橋の対極……?
どうもうまい表現がてこない。
これだけの迫力を持つ存在に、思考力は不要に思え
しばし、言葉を慎むことにします。 -
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西の丸長局(百間廊下)
廊下の冷気が足の熱を奪い、開け放たれた戸から寒風が吹き込んで寒いのなんの。 -
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この廊下には右手に小部屋が続きます。
ここは、主となった千姫に仕える侍女たちが暮らしていたという。
千姫とはどんな人だったのか。 -
千姫の恋
本多忠刻(ただとき)と千姫の馴れ初めは、船の中。
イケメンの忠刻に、千姫が一目惚れしたのだとか。
本多家は当時桑名藩でしたが、後にこの姫路に封じられる。
恋煩いの孫娘、千姫を見かねて、臨終間近のおじいちゃん徳川家康が仲を取り持ったという話が伝わっています。
おじいちゃんには、この孫娘に負い目がありました。
徳川家康の孫、千姫は豊臣秀頼との政略結婚で、幼いときに大阪城に嫁入りします。
おじいちゃんは、たぶん豊臣を滅ぼすつもりでいて、孫娘を嫁に出したんだナ。
うまくいけば滅ぼさずに済むかもと、自分の心に言い訳してたかもしれませんが、まあ、自分の心は自分が一番よく知っている。
運良く孫娘は救い出すことが出来ましたが、戦国の世を生き抜いてきた家康にとって、娘や孫娘を道具として使うのはイロハのイだったのだろうか。
お父さんは第二代将軍の秀忠だけど、おひいさまに生まれるのもゆるくないなあ。
後楽園を造った池田綱政は千姫の孫
上の写真で一緒にカルタをしているのは娘の勝姫です。
お母さんも美人、お父さんもイケメンですから、きっと美人だったでしょう。
この人は岡山藩の池田家に嫁ぎ(厳密には嫁いだ後に岡山に封じられた)、岡山藩の財政危機に際してはお母さんに頼んでお金を融通してもらったりしました。
そして、息子の綱政は第二代岡山藩主となって、後楽園を造りました。
なんか、いろいろ繋がってるナア。 -
宮本武蔵
話を千姫に戻しますが、千姫の旦那の忠刻は、後に姫路藩主となって、今の姫路城を完成へと導きます。
それだけでなく、武芸にもいそしんで宮本武蔵を師範に迎えています。
そうか、宮本武蔵もこのお城とゆかりがあるのか。
この宮本武蔵という人は、若い頃はおとうさんと一緒に黒田勘兵衛に従って、関ヶ原の時は、九州で大暴れしていたかも知れないといわれています。
もう終わっちゃいましたがドラマの軍師勘兵衛に、宮本武蔵が出てきたりしてもおもしろかっただろう、と無責任に思います。
おとうさんの無二斎が黒田家に仕えていたことは確からしいので、姫路には大いにゆかりがあるんですね。
姫路城下にはいろいろな伝説が伝わっていて、宮本武蔵がお城の幽霊を退治した話なんて言うのもあります。
もっとも、それは伝説ではなくて、宮本武蔵の伝奇のなかの一節だという説明も見ました。
他にも播州皿屋敷、お夏清十郎……
これだけのお城、話題には事欠きませんが、この名城にあってはいずれも脇役に過ぎないか。 -
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瓦に十字架の文様が見られるあたり。
ボランティアの方が、黒田孝高(勘兵衛)との因果関係を語っていましたが、ちょっとそれはこじつけに思えます。
ここで、今のところの立ち入り限界水域です。 -
お腰に付けたきび団子
十分に城を満喫できて満足ですが、ああ、おなかがすいて死にそうだ。
実はまだお昼を食べていないです。
もう午後3時を廻っているというのに。
「なんか、食べるものない。」
「きのうの吉備団子がまだいくつか残ってるよ。」 -
岡山駅で買ったのをすっかり忘れていました!
犬猿キジもかくあらんと、むさぼるように食べました。
ところでこの吉備団子、おなかが空いているから、とりあえず食べられればいいのだけど……子供の頃に漠然と予想していた味、食感とどうも違うような気がする。
桃太郎のお腰に付けた、あのきびだんごとはどんな味だったのか。
日本人であればだれでも、幼心に夢ふくらませたのではなかろうかと想像します。
江戸時代の頃はどこでも作られていた黍団子ですが、桃太郎の「きびだんご」っていうのは吉備団子のことですって、さっさと岡山で売り出したらしい。
しかし吉備団子の商品情報を見ると、黍でなくて餅米で作られています。
食べると、もちもちしていてまあまあ旨い。
気になってiPadを借りて調べたら、そのような団子を考案したのはこの箱に書いてある廣榮堂だという。(異説あり)
では、犬、猿、キジがほしがった黍団子は、どんなのかしらん。
桃太郎の話を聞くたびに心に浮かんだ幼い頃の疑問が、抑えきれないほどにふくれあがってくる。
犬猿キジは、これが欲しくて恐ろしい鬼退治に同行することになる。
そのころの日本人には、それほど魅力的な食べ物だったということなのでしょうか。
私だけでなく、多くの少年少女は、
「そんな危険を冒しても食べたいきびだんごとはいったい?」
と思ったに違いない。
きっと今の人が食べても大して美味くないのだろうけど、無性に好奇心をかき立てられるのです。
インターネットで黍団子についてあれこれ調べていると、
「まずいよ。」
と、妻が唐突に言いました。
「えっ?」
「なんか、鳥の餌食べてるみたいでさあ。」
「た、食べたことあるの?」
「あるよ。」
なんと妻は、子供の頃に母親が、よく黍を食べさせてくれたという。
灯台もと暗しとは、このことですな。
「黍って、売ってるの?」
「売ってるよー。」
なんだ、そんなことも知らないのか、という顔をされました!
しかし聞いてみなければ分からないものだ。
私の中で、黍団子に対する思いが急速にしぼんでゆくのを感じました。 -
別れを惜しむかのように、振り向き
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また、振り向き
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明石です。
駅のホームから明石城を望んでいます。 -
事前に、明石焼きあるいは、玉子焼きと呼ばれる名物があると調査してありました。
もうめんどくさくなっていたのだけど、初めて予定表で確認した妻が、
「行こうよ。」
というので…… -
駅のすぐ隣の建物にありました。
ソースを付けてから、薄味の出汁に浸して食べます。
熟練したご婦人が、電光石火の手並みで焼いています。
明石名物も食べて満足したので、 -
JR普通乗車券のおきて
夕暮れ迫る明石海峡大橋を見に、舞子駅で降ります。
このJRの普通切符は、たいへん便利です。
100キロ以上の長距離であれば途中下車無制限。
後戻りさえしなければ、何度途中で降りても良い。
トクに、山陽本線は普通列車がものすごく充実しているからちょこちょこ寄り道するのが楽しい。
香川県の宇多津から神戸三宮まで買ってあります。
194.4キロで3490円です。
あと6キロで三日間の有効期間が与えられますが、大阪まででなく三宮で切って、後は私鉄で大阪入りした方が安上がりであることに気付きました。 -
ライトアップしたところが見たいな、と思いましたが、海峡を渡る風は思いの外冷たく、あきらめて宿のある三宮に向かうことにしました。
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しかし、すごいものを造るなあ。
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明石方面を眺める。
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明石大橋の根本は、勝海舟とゆかりのある砲台がありました。
舞子駅というのはとても立派で、駅前からは淡路島や四国の各方面に高速バスが出ているのを知りました。
自分のつくった予定表では、元町駅に寄るようになっていましたが、もうすっかりホテルに向かう気になっております。
「元町って、行かないの?」
「うん。」
今日の歩数は、すでに2万歩を越えています。 -
神戸三宮。
おししも、阪神淡路大震災から20周年を迎えていました。
テレビでは様々な特集が組まれ、特別ドラマもホテルの部屋で見ました。
その中で、三宮の山側はなぜか比較的被害が少なかったこと、それがその後の地震予知学に様々な影響を与えることになったのを知りました。 -
よくもまあ、あれだけの被害から立ち直ったものだと思いました。
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モントレアマリー
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コンセプトが客船
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夕食を食べに、三宮界隈を歩く。
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20年前のあの日は旅行中で、北海道旭川駅の寒々としたロビーのテレビで、あちこちから火の手が上がる神戸や淡路島の空撮映像を、なにか映画の一場面を見るかのように、呆然と眺めていたのを思い出しました。
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いやはや、人間とはたくましいものだ、と無責任に思うのでした。
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この旅行記へのコメント (1)
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- わんぱく大将さん 2015/02/28 11:45:32
- いつの間に実家に?
- ちびのぱぱさん
あれ〜いつの間にうちの実家に来られましたか? お色直し、ちょっと城だけに、白すぎましたが、あとどれくらいかしたら同じような色になってくると。 近くにありすぎて、日本に帰った時も行きませんね。 丁度中学校がお城のそばにあり、学生の頃はたまに、城の掃除に行かされたもんでしたが。
吉備団子、はい、私も昔のとは違って、あん入りのを食しました。
大将
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