2006/04/28 - 2006/05/09
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Shuntatatataさん
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突っ走った、一言、そんな一言が何よりもまず、思い浮かぶ。
ウィーンin イスタンブールout 東欧"突っ走って"横断!
さてさて、「ヨーロッパ」といえば、実はずっと旅することを”躊躇”していたんだ。
「なんでヨーロッパへ行かないの?」旅を始めた頃から、何度となく訊かれたもんだ。「一人だと寂しそうじゃん、だから新婚旅行まで取っておくんだ」と、その度に答えてきたものの、実のとこはビビッてたのだ。元より小心者、英語は自信ねぇし、きっと「場違いな田舎男」になってしまうだろうなぁっと、恐れていた。
「ヨーロッパと言えば、自分には不似合いな"おしゃれな都会"に違いない!」そんな思い込み激しく、中東とか危ないと言われる何処へ行くよりも、ずっと勇気が必要になってしまった・・・
まず、悩む!…何を着て旅すりゃいんだろう?
東南アジアみたいな、短パン、Tシャツ、サンダルはいかんだろう・・・?
そして心配する!・・・いくら必要なんだ?
さすがに一泊500円じゃ泊まれんだろう・・・
最後に気付く!・・・この日程、きつくね?
夜行バスや列車を駆使して、ギリギリの日程で全8カ国(9か国)を横断するのだ。
ボスニア、セルビア、ブルガリアのバス情報が一切手に入らないことについては考えんのはやめる。
そんな思い込み激しい、東欧劇場のハジマリハジマリ・・・
- 旅行の満足度
- 3.5
-
ウィーンへ着陸態勢に入った飛行機の中で、機長のアナウンスが流れる。
「目的地 ウィーンの天候は雨、気温は9℃です」
ちなみに予定(希望)では晴れ、気温20℃だった(T_T)
ウィーンには目もくれず、バス・列車を乗り継いで、一路スロヴェニア・リュブリャーナへ。南へ行けば、きっと雨も止んでいる...そう願いを込める。 -
そして到着したリュブリャーナは…雨。
そう、初ヨーロッパの第一印象はとにかく、この憂鬱になる雨と寒さだった。とはいえ、短期強行日程のこの旅、太陽を待っていることなんてことはできないのさ -
とりあえず、ホステルに宿をとり、傘もなくリュブリャーナに繰り出す。
確かに、描いていた通りの「お洒落な都会」ヨーロッパらしい町並み♪ -
止まない雨、このリュブリャーナ城は旧市街を見渡す山の上にある。
傘を買って、一路向かう途中、傘が壊れた・・・つーか、こんな壊れ方は観たことがない。
取っての「J」の部分だけが折れて外れてしまったのだ、、、それにしてもまだ買って数時間。
まったくもってついてない。
雨と寒さと壊れた傘・・・初日から、ヨーロッパの手痛い歓迎。
やっぱ、お洒落な都会ヨーロッパは俺には早すぎたってことだろうか? -
ネットで明日の天気を”祈りを込めて”チェック・・・
雨だ、明後日も、明々後日も雨だ(`^´) スロベニアで”最も美しいであろう地”ブレッド湖へ行く予定を断念して、クロアチア・ザグレブ行きのバスに乗り込む。
今ここが雨ならば、移動した先はきっと晴れ・・・きっと晴れ! -
「きっと晴れ」だったはずのクロアチアの首都ザグレブ
「くもり」だ、まぁこの際、贅沢は言わないことにする -
ヨーロッパってのは土日は皆働かない。
食堂とカフェ以外はキヨスクぐらいしか空いてない。ちなみに今日は日曜だ。曇り空と相まって閑散とした町並みが僕をへこませる・・・が、そんなときに元気出せよっと言ってくれてるような彼 (?) -
スロベニアもザグレブも、トラムが街に合う。
好天を信じて、夜行バスで11時間、今回の旅のメイン・ドブロブニクを目指す
このバスでちょっとした”出会い”がある。
途中のスプリットで乗ってきた韓国人の女性ユン・チャン
彼女とは、ドブロブニクのバスターミナルで別れた後、"劇的な再会"を果たす。 -
ようやく辿り着いたのは早朝6時、窓の外は”大雨” しかもこの旅、一番の大雨。むかつくほどの雨。この旅の”メイン”ドブロブニクまでも雨で終わってしまうんだろうか・・・そりゃねぇよなぁ
ちらっと街をふらつくも、強くなる一方の雨についに”ふてくされて”しまう。
幸運にも旧市街の入り口から数分のところに、よさげなSOBE(プライベートルーム)を見つけたものの、ベットに倒れこみ、そのままゴロゴロ読書にふけってしまった・・・
ちなみに読んでいたのは「深夜特急」ベタか?(笑) -
「とりあえず飯だけ食いに行こう」
そう思い立ち、SOBEのおばあちゃんに、どこで傘が買えるか訊いてみる。
すると、ニコニコしながらタダで傘を貸してくれるではないか。
不思議なことに、この出来事が「"ものすごくうれしいこと"のようにそのとき感じた」のだ。
運が向いてきている? そんな直感。
そしてまさに、これがこの「旅の転機」だった。外は相変わらず雨だったけど、とりあえず旧市街の薄暗い路地沿いのレストランでピザとビールで腹を満たす。
満足して外に出ると、雨が止んでいる! -
それどころか・・・路地を出ると、雲がものすごい速さで流れ、そして雲の隙間から、太陽が!雨水に濡れた旧市街の石畳がきらきらと輝く。
もうもう、待ちに待ちに待ちに待った!この旅の”初”の太陽。そして青空。 -
ほんの数十分、突然、晴れ渡ったァ
青いアドリア海と、朱色の屋根。アドリア海の真珠と称されるこれぞドブロブニク♪
おばちゃん、ありがとー -
ドブロブニクは周囲を城壁に守られた都市。
城壁は周囲2キロにおよぶ。。。その上の細い通路を歩く。 -
海にそそり立つ城壁、紺色に近い”深く青い”空と海。
大きな大きな期待通り、スバラシイっ! -
南には海、北には山、、、その絶景に加えて”太陽”! 興奮が納まらない。
-
Main street"プラツァ通り”はこんな感じ。
-
ワラワラと人が出てきた(笑)
-
そういえば、クロアチアの女性はとても美しい(笑)
昼間、観光客だけを見てはそうとは感じなかったのだけど、早朝、学校や仕事へ向かう現地の女性達。どきっとするほど、美しい。しかもみんながみんな・・・ -
Yemen編でも書いたことだけど、僕は”路地”というものにたまらない魅力を感じる。
-
いくつもの、いくつも密集した家々が魅力的な路地を作りだす。
-
そういえば、クロアチアの人は雨が降ってようがなんだろうが、洗濯物を干す(笑)
SOBEのおばちゃんは、とてもとてもいいおばあちゃんだった。。。
傘貸してくれたし、洗濯もしてくれた。
ほんと、いいおばあちゃんだった。が、その洗濯物は大雨降る外に干された・・・英語が乏しいおばあちゃん「no problem, no problemね」を繰り返す。
僕はこっそり、雨に晒される洗濯物を持ち帰り、部屋干しした。 -
ドブロブニクの夕日。映える!
-
この時期、ヨーロッパの昼は一番長くなるらしい。
このとき、すでに7時くらいだったと思う。 -
ドブロブニクは夜も長い・・・
-
ライトアップされ、人が溢れ、街は違った一面を見せる。
-
そんな気分を部屋まで持ち帰り、買ってきたビールで一杯♪
-
翌日、背後にそびえるスルジ山からの眺め。登りはそれなりにしんどい。
昔はロープウェーがあったらしいんだけど。。。 -
ユーゴスラビア紛争、この場所から・・・旧市街へ砲撃が行われたらしい。
下の写真はその頃使われていたロープウェイの駅とのこと、戦争中に破壊された跡が痛々しい。 -
スルジ山から下山し、その足でそのまま”コトル”へのバスに乗り込む。
僕が行ったとき、コトルはまだセルビア・モンテネグロに在ったけど、翌年に独立。今はモンテネグロの町。コトルへの道のりは、のんびりとした風景が続く。。。
この頃から、僕のヨーロッパに対する思い込みが変わってくる、、、ほとんどが田舎だ♪。 -
片道3時間、コトルに到着したのは13時、そしてドブロブニクへ戻る最終便は15時・・・
えっ? -
コトルは、湾の一番奥にある世界遺産となっている街。
海に面し、背後に山を従えた自然を生かした要塞都市である。
古い要塞跡をひたすら登り、到達した頂上からの眺めは絶景! -
街並みは小さいドブロブニクってとこかな。
-
しっかし、たった2時間しかなかったので、じっくり街を歩けなかったのがちょっと心残りだ。
-
コトルから、ドブロブニクにもどって、この日、僕の緊張の糸がぷちっと切れてしまう。
なんてことない・・・コトルへの長いバス旅の疲れを癒すべく、僕はオープンカフェでビールを飲んでいる。天気は今日もすばらしい。
目の前に一匹の黒い猫が歩いている、その後を追って白い猫が歩いてくる。
さらにその後から、白い犬が仲間に入れて欲しそうに、歩いてくる。
それを見て、2匹の猫は建物に逃げ込む。
犬は悲しそうにその場をうろうろする・・・平和だ♪
そんななんでもない光景を見て、僕の頭の中にある糸が一本切れた。
どーいうことかと言うと、とても幸せな気分になってしまったのだ(笑)
そしてこの夜、僕は”豪遊”する。
ビールにワインに、イカ墨リゾット、イカの煮物。。。またビールに、ワインに。
日本円にして3000円くらいだろうか、たぶん、旅を始めて以来、海外で一食にこれほど金を使ったのは初めてだろう。でも、幸せだった・・・(笑) -
早朝10時、お隣ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル行きのバスに乗り込む。
ここでちょっと不思議な領域があるのに気がつく、途中国境らしきゲートを通過した。
でも、まったくパスポートチェックがない? それに、国境にはまだ早すぎる気もする。
そしてまた、ゲートをパスポートチェックなしに通過。。。??
地図を調べてみると、ほんの数キロ、地図でもよく見ないとわからない程の「ヘルツェゴビナ」をまたいていたことがわかる。
海のない国ヘルツェゴビナ、ではなかったんだ・・・わずか数キロ、ヘルツェゴビナには海があるのだ。
そしてバスはその地域を通過していたようだ。
あまりに短い距離なので、通関も非常に簡単で済ましているのかな。
事実、再度ヘルツェゴビナ入国時には、長いパスポートチェックがあった。
そして、何人かはそのチェックを通過できずに、バスはその人を置いて出発した。
いったい何が、入国の最大の難関なのか?
僕にはわからなかった・・・けど、この国の戦争が終結したのは、ほんの10年前。
まだ、”何か”があるのだろう。 -
そして、国境を越えた瞬間、その雰囲気は驚くほど変貌する。
一言、「のどか」
クロアチアのきらびやかな雰囲気が、「国境を越える」、まさにそれだけで一変した。
国境を越えるってのは、いつも緊張してしまうもんだ。
最強の日本パスポートを持ってしても、何が起こるかわかったもんじゃない。
その安心感からか、この頃から隣の大男の存在が気になるようになってきた。
っというのも、そのおっちゃんの食うこと食うこと・・・
当然、丸々太っているわけだけど、足元に落とした水すら、腹ががつっかえて拾えないのだ。
そして僕がそれを拾ってあげたところから、ちょっとした会話が始まった。
会話の始まりは「私は糖尿病なんだ」だった(笑)
しかし、そんなもん気にもしないような陽気ぶりがおかしい。
「おれは片目が全く見えない、そしてもう片目も15%が見えない」とか・・・楽しそうに、甘そうなパンを食いながら話す。
なんとなく、そういう生き方、後先考えずに好きなことをやる、ってのもありかなってな気分にすらなっちまう。
おっちゃんとは、モスタルでハイタッチして別れた。 -
風景が町らしくなってきた。。。っと、反対側の窓を見て、一瞬固まった・・・。
そうだ、実はここへ至るまでにも、”それ”の存在はなんとなく気になっていた。
広い牧草地に転々と在った家の壁にもあった小さな穴。
あの穴は、やはり”それ”だったのだと確信する。
「弾痕」
バスの窓から見えた建物の壁には、数え切れないほどの穴穴穴・・・
人間、おびただしい数の小さいものを見たとき、吐き気のような圧迫感を感じるもんだ。
そして僕はそれを見たとき、その圧迫感を、吐き気を、そして背筋がぞっとする何かを感じた。その家は、まさに「蜂の巣」だった・・・
ここモスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の激戦区の一つだったらしい。
6つの民族、3つの宗教、6つの共和国、7つの国境。
それらが理想的に共存していたはずの地域で始まった戦争。
それまで、家族や友人だった人々の間で、「同族殺し」と称される悲惨な戦争が行われた。
当時10代だった、世界情勢なんて無関心だった僕にも、「ユーゴスラビア」その言葉はきな臭い印象を与える。
この後、ベオグラードでNATOの空爆で破壊されたビルを見たけど、それよりもこのモスタルの弾痕はあまりに強烈だった。
まさに「死の生々しさ」がそこで感じられた。
写真は砲弾で壊された建物。「蜂の巣」はもっと芯にくる。。。 -
とは、いうものの、ここモスタルの町の雰囲気はとてもいい!
これはモスタルの象徴である石橋
戦争中に破壊されたとのことだが、まさに2年前に再建されたとのこと。 -
石橋を挟んでムスリム人と、クロアチア人居住区に分かれているとのことだ。
そう、ここでもう一つ気がついたこと、それはモスクがあるということだ。
クロアチアではまったく見かけなかったモスクがここにはある。
宗教までも国境で隔てられるもんなんだろうか?
「国境」ってのは、いったいその国に人間にとって、どんなものなのだろう・・・ -
美しい川辺で、まったり。
クロアチアより、明らかに物価が安い・・・
ある種、衝撃的な部分はあったけど、ここモスタルはとても居心地がよかったと思う。 -
サラエボ行きのバスを待っているとき、一人のおばさんから話しかけられた。
「サラエボでの宿は決まってる?」
僕はそのとき迷っていた、予定ではサラエボはスルーしようと思っていた。
しかし、リュブリャーナで会ったフランス人から「サラエボは一番いい」っと聞かされていたのだ。僕はとりあえず、「サラエボには泊まらない」っと答えた・・・
しかし、これがサラエボでの”あの事件”への序曲だったとは、そのときは想像もしていなかった・・・
サラエボでの”あの事件”・・・
なによりもまず、「サラエボ&イヴァナ(ヤスナ)」をネットで検索して欲しい。
すぐにヤスナが何者なのかがわかると思う。 -
旅に出る前、僕はネットでいろいろな旅人の旅行記や掲示板を読みあさっていた。
というのも、ボスニア・ヘルツェゴビナ以東の旧共産圏の国々に関する情報があまりにも乏しかったからだ。
バスはもちろん、宿といった情報もクロアチア以西に比して極端に少ない・・・
そんな中、どの情報源を見ても、必ずといってよいほど一人の女性に関する情報にぶち当たることに気づいた
”ヤスナ”
間違いなく、日本で一番有名なボスニア人である。
(本名は”イヴァナ”らしいんだけど、あまりに有名になりすぎて改名?しているらしい)
僕の印象に残っているのは「悪夢の一夜」と題された旅行記だった(笑)
どうやら、このヤスナっておばはんは「無類の日本男児好き」らしいのである。
多少言いにくいが、「性的」に日本人好きなのだ。まさに”食い物”にしているらしいのだ。
サラエボのボスニア人側バスターミナルで、日本人を狙い、自分がやっているプライベートルームへ
そして・・・そしてそんな体験談は僕の中に潜む”ある感情”をくすぐる・・・「怖いもの見たさ」 -
サラエボに到着したとき、日はすでに傾き始めていた。
バスから降りて、市街地へ向かうトラム乗り場を探しているとすぐに、
ピンク色のトレーナーを着たおばさんが近づいてくるのに気が付いた。
心拍数が早くなってくるのがわかる、そしてすぐにそのおばはんがまさに「ヤスナ」であると確信した。
意外にも対応は親切そのものであった。
もし、事前の情報がなければ、信用してもおかしくはないとさえ、第一印象として感じた。
しかしなかなか図々しい、
「私は30歳よ」・・・・どう見ても、50代としか見えない。
「日本人は皆、私のことビューティフルと言うわ」・・・残念ながら、そんな感情は沸いてこない
が、このときの僕は何故か舞い上がっていた
なんといっても、ネットを賑わすボスニア1の有名人が目の前にいるのである(笑)
そして、それは疲れのせいなのか、怖いもの見たさなのか、旅人が煩うある種の思考麻痺のせいなのか、「こりゃ、面白そうだな」そう、感じてしまったのだ。
そして、彼女のプライベートルームへ泊まることにしてしまったのだっ!!
そして、部屋へ向かう途中、驚くべきこと知った。
彼女は僕がサラエボへ来ることを確信しており、そしてバス停に迎えに来たらしいのだ。
つまり、モスタルで僕に話しかけてきた女性。
彼女が、ヤスナへ「日本人がサラエボへ向かっていること」を"通報"していたのだ。
つまり、ボスニア・ヘルツェゴビナには”日本人包囲ネットワーク”が存在するっつーこと?
この周到なネットワークを、事前情報なしで掻い潜るのは、純然な日本人にできるのだろうか・・・恐るべし。
そして、そんな包囲網に僕は面白半分で入ってしまった。どうなるんだろう?
すでに何か彼女の達者な口車に流され、完全に彼女のペースから抜け出せないような気すらする。 -
サラエボの中心部”バシチャルシァ”
サラエボまで来るともうヨーロッパの雰囲気ほとんどなくなってくる。
そこは、見慣れたイスラム色が非常に濃い。
女性は、アバヤ(黒衣)を着て、街中にはモスクが聳え立っている。
イスラム特有のオリエンタルな雰囲気はとてもいい・・・っとは思うのだが、
この頃の僕には、到着したころのテンションはすでになく、町を楽しむ余裕は全くなかった。今まで味わったことのないタイプの、これから起こりうる「恐怖」に気分はどん底に沈んでいた・・・
そして、その後のヤスナとの会話で、彼女の態度が若干”おかしい部分がある”のに気づき始めていた。こっちの話したことを何一つ覚えていない? 話がころころ変わる。
あまりに嘘が多い・・・いや、それが嘘であることを本人が自覚していない?ちょっと怖い。 -
僕の思考回路はフル回転して、現状と打開策を考える。
食欲が全くわかない(T T)
ありとあらゆる可能性を考える。
「腕力」、相手はさすがに女性だし、恐ろしく強くても逃げることはできるだろう。。。すでに相当弱気(笑)
実は、すでにアメリカ人が滞在しているのだが、もし彼が「グル」だったら?
「睡眠薬」、男を襲うのにそれは目的を果たすのだろうか?
「銃器とか」、もうどうしようもないわな。。。でもまぁ、それはないような気はする。
辺りはもうすっかり暗くなってしまった、部屋へ戻りたくない。しかし、荷物はあそこにある・・・夜9時頃、あきらめて宿に戻った。
彼女は飯を作ってくれたが。。。不味かった。なんだあれ?
とりあえず、アメリカ人グル説はなさそうで、ちょっと安心。
そして、彼女は執拗に日本人と一緒に写った写真を僕に見せてくる。。。
お馴染み、日本人と仲良しアピール攻撃である。
しっかし、その写真に写っている日本人が皆、皆が皆、まったく笑ってない(笑)
まさに僕が今しているであろう”表情”をしているのだ。 -
とにかく僕は自分を守らねばならない。
僕は翌朝朝一のバスでベオグラードへ発つことを告げ、もう寝ると主張した。
アメリカ人が起きているうちに眠ってしまおう。
しかし、アメリカ人と同じ部屋へ行こうとすると・・・完璧とも言えるヤスナのペースで事が展開する
「朝が早いなら、彼(アメリカ人)を起こすのはかわいそうだ」
「”だから”あなたは、この部屋でこのベッドで寝なさい」
「私は大丈夫、この部屋で、床に布団を敷いて寝るわ」
「えっ、いや・・」っと口を挟む間のなくベッドがメイキングされた。
そしてベッドの隣にあったテーブルをなぜか部屋の端に寄せ始めた?
ベッドから一番離れた位置に布団を敷くスペースはあったのだ、しかしそのスペースへテーブルを移動し、空いたベットの真横に、彼女の布団を敷き始めるではないか!
つまり、僕のベット、彼女の布団がまさにすぐ隣に並んでしまった。
焦った。
「やばいやばいやばいやばい・・・」心の中でさけぶ
僕はとりあえず、非常事態に備え、いつでも脱出できるようにバックを完璧にパッキングしてジーンズのまま、ベルトをしっかり締め、ベットに深く入り、壁を向いて、寝息を発した(ふりをした)。正直、恐怖で、緊張で、まったく眠れるような精神状態じゃーない!
僕の背後で、何やらせわしく動いている彼女の気配を感じる。
白黒テレビの光が彼女のシルエットを、壁に投影する・・・これがまた不気味である。
”恐怖”だった。。。まさに経験したことのないタイプの恐怖。
何か”大切なもの”を奪われるのではないかという恐怖だった(笑)
しばらくして、彼女が僕に話しかけてきた。
僕は精一杯、寝ぼけた振りをして、「ん゛? ん゛〜」といった意味不明な言葉を返した。
それからして、しばらくして背後から聞こえる物音が消えた・・・
布団に入ったんだろうか?
助かった?
助かったのか?
もう、大丈夫なのか?
数十分におよぶ沈黙、、、僕はそのまま眠ってしまった。
翌朝、まず自分の置かれている状況を確認する。ベルトはちゃんと締まってる。どうやら無事らしい・・・僕は彼女を起こして、郊外のセルビア側バス停へ向かった。
とにかく早くこのおばはんのいない、一人きりになりたかった。
おんぼろで、ガソリンの匂いのするバスに乗り込む、待ち望んだ安息の時だった・・・
このとき、ふと、「やっぱ面白かったな」っと感じた(笑)
後日、ヤスナの好みのタイプが書かれたHPを見つけた(どうやって知ったんだ?)。
「色黒、がっちり、ひげをはやした日本人」
僕とは正反対。。。これが助かった理由だろうか(笑)
ってか、自分で行って、勝手にびびってただけなんだけどね♪
ただ、人生でもっとも恐怖を感じた瞬間だったかもしれない。 -
ヤスナの恐怖から脱してセルビア・ベオグラードを目指す。
このバス移動がこの旅で一番のんびり、リラックスできた時間だったかもしれない。
おんぼろバスで片道9時間、しかも昼行である。
全てのバス停で停まり、道を歩いている人すら乗せていく。。。
完全なる庶民の足、僕以外にツーリストの姿は見えやしない。
バスからの景色は素晴らしいものだった。ただ延々、のどかな農村風景が続く・・・ -
走り始めて、しばらく続くは広大な牧草地と、そこに点在する木造の古めかしい家々
のどかだなぁっと思っていると、たまに”皮を剥がれて木につるされた山羊”や、
同じく”皮をはがれて串刺しになった豚”なんかが突然庭先に現れてどきっとする(笑)
きっと今夜はごちそうなんだろう。
山間部に入ると、これまたのどかな山桜やらタンポポが咲いている。
まさに今、ここは春らしい。 -
ベオグラードに近づくと、そこはどこまでも広大な畑・・・
ヤスナの恐怖で、若干寝不足かと思いきや、このバスで移動した9時間、一睡もせず。
でもとてもとても気持ちいいバス旅行でした。 -
なーんにも見所のない?街、ベオグラード。
街並みは意外にも、大都会。サラエボから来るとそのギャップに驚くかも。
だけど紛争時に受けたNATOの空爆跡がそのまま残っていて痛々しい。
ブルガリア・ソフィア行きの夜行列車まで、6時間程しか滞在しなかったけど、、、十分だな。
ベオグラードの憩いの場カレメグダン公園。誰かの小説に出てきた・・・誰だっけ?米原万里だったかな? -
NATO軍の空爆跡。大都市のど真ん中に不自然に残っている・・・
この街でちょっとお洒落なカフェで、大ボケをかます!
コーヒー飲んで、ケーキ食って、そしてお金が足りない(T□T;)!!
現地通貨が数十円分足りないのだ・・・結局、店員さんに泣き寝入りしたら、オマケしてくれた♪ ちょっとお洒落なとこだったんでとてもとても恥ずかしかった。
そして、こんなお店でもオマケなんてことが在り得るということに少し驚き・・・ あの店員さんが立て替えてくれたんだろうか? -
逃げるようにカフェから遠ざかり、やることがなくなったので、駅のホームで一杯。
この日すでに何杯飲んでいるかよくわかりません。
ベオグラードはほんと、やることがない。
退屈だけれども・・・劇的な再会を果たしたのは、このベオグラード。
それは駅のホームだった。
列車に乗り込もうと、ホームを歩いていると、、、、何やら女性の叫び声に足を止められた。見ると、一人のアジア系の女性が僕に向かって手を振っている。
もしや、彼女は!?
ドブロブニクへ行くバス。そこで出会った韓国人女性ユンチャン、まさに彼女だった。
2つの国飛び越えて、再会するとは・・・お互いにちょっと感動(笑)
しかも、同じ列車でソフィアへ向かうらしい。
しかも、しかも、同じ車両。
しかも、しかも、しかも、同じコンパートメント(笑)
こういうのって、やっぱ何か強い縁があるんかもね。
彼女は高校の先生らしいんだけど、1年間休みをもらってヨーロッパ〜南米を旅するらしい。
韓国の先生はそんなに休みがもらえるのか?って、そーいうわけじゃないらしい。
彼女はもっと賢い?
なんでも交通事故にあったらしく、その後遺症があるとかで(ほんとは全くない)、
1年もの休みを獲得したらしい(笑) 賢い。
ちなみにタッキーのファン
何はともあれ、彼女のおかげでブルガリア滞在はとても楽しいもんになる。 -
驚くほど、英語の通じない国ブルガリア。
どんな国でもある程度喋れる人がいるもんだが、この国で英語を話す人を探すのは一苦労。
そんな中、とってもありがたい”お方”に出会う。
彼の名は平田さん、ブルガリア語に類似のマケドニア語を操り、なんと「地球の歩き方・中欧編」の編者とのこと!!
僕の持つ「歩き方」の編集欄を指して「これ僕です」っとさりげなく語る
今彼が調べている情報が次の「歩き方」に載るんだ。すげぇ。
旅を仕事にできるってのは旅人にとって憧れだ。
平田さんの”おかげ”でたどり着くことができたブルガリア正教の総本山”リラの僧院”
いやほんと、正直、ここへのアクセスはなかなか難しいのだ。
言葉は通じないし、バス停も駅からトラムを乗り継がなきゃいけない。
そしてバスは一日一便。 ソフィアに到着して、すぐに向かうことができたのはまさしく平田先生のおかげです。 -
リラの僧院は、ソフィアからバスに揺られて3時間。
元来、修験を目的として、山深い奥地に建てられた教会とのこと。 -
教会内部のフレスコ画は、これまで見た教会のものと雰囲気(画風?)が全く違う、素晴らしいの一言(撮影禁止)。
-
これまで見てきたとても美しい教会は、、、正直、退屈なもんだった。
だけど、この茶色と白のボーダーという教会っぽくない、ちょっとセンスを疑ってしまうようなこの僧院は。気に入った! -
上でも書いたが、首都ソフィアでも英語は全く通じない。
ところが、街を歩いていると、英語どころか日本語で「スイマセン、ニホンジンデスカ?」っ話しかけられた。
振り返ると、中学生くらいかな、現地の男の子と女の子が立っている。
とにかく目を惹いたのは、彼女の興奮っぷりである。
どーやら、学校で日本語を勉強しているらしく。日本人と話すチャンスに興奮は絶頂のよう(笑)
金髪、真っ白な肌に、ほっぺただけ見てすぐわかるほど紅潮している。
「ワタシは○○○デス、アナタハ?」ってな感じだった気がする。
まさにそのころ、道に迷っていた僕とユンチャンは、「エキハドコデスカ?」っと尋ねてみた。
すると、女の子は後ろに立っていた男の子となにやら相談を始め、五分くらいたった後、一言。
「アチラデス」っと指を指した。
すっげぇかわいかった!その回答にも、いい意味で爆笑!
なんか疲れなんて吹っ飛んでしまうくらい。
楽しい出来事だったなぁ〜幸せな気分になれたよ。
ちなみに、ユンチャンもちらっと日本語がわかるらしく、アノくらいなら私でもわかると言っていた。。。 -
ソフィアの夜。。。
酒屋にて。。。
ワインボトル1本。。。300円!?
安ーっ♪
部屋をシェアしたユンチャンと、喜び勇んで1本買って酒盛り♪
写真はいちおう世界遺産 -
一人イスタンブール行きの夜行列車に乗った
明日はもう日本へ発つ。この列車に乗らなければ、飛行機には間に合わない。
ユンチャンとはここでお別れ、残念ながらこの旅でまた劇的な再会はありえない・・・
たった11連休の僕と、365連休のユンチャン。考えるとどーもむなしくなるね。
いつの旅でも同じだけど、誰かと一緒に行動してしまうと、一人になったときの寂しさがしんどい。イスタンブールへの夜行列車の一人部屋が堪えたなぁ。
ユンチャンとは1年後、ウズベキスタン帰り、韓国で再会♪ -
一度は行ってみたかった国トルコ。イスラムの入門国。
とは言え、ここを飛ばして強烈なイスラムへ行ってしまった後では、ここはヨーロッパに思える。たった半日、しかも地図はおろか、ガイドブックもないので、とりあえず、有名なブルーモスクと地下神殿だけ行って、力尽きた・・・ -
トルコは、きっとまた来るだろう。
なぜかそんな確信があったので、僕は早めに空港へ向かった。
さすがに、この強行旅行のツケがたまってきたらしく、クッタクタだった
今度はもっとゆとりのある旅をしよう(笑) -
初ヨーロッパ。
思い描いていた美しく、居心地の悪い場所とは、ちょっと違った後味が残っている。
確かに美しいんだけど、ものすごくのどかで、居心地の良さがあった。
それは”東欧”だから、なんかな?
未知の西欧にも、ちょっと期待してしまう。
ふと、思い出したことがある。
グァテマラで会った一人の日本人から聞いた話だ。
彼は国連で働いていた2年間(ウィーンに住んでいたらしい)、
週末になるとヨーロッパのありとあらゆる街を旅したんだそう。
その彼が選んだヨーロッパでもっとも素晴らしい3つの街。
1位がプラハであり、3位がウィーンだった・・・2位、その街の名は当時の僕には、あまりにも馴染みなく忘れてしまった。
それは、ドブロブニクだったんじゃないだろうか? 国の名も馴染みないものだった…クロアチア?
きっと、そうに違いない。
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