2014/10/11 - 2014/10/11
153位(同エリア631件中)
杏仁豆腐さん
旧古河庭園「秋のバラフェスティバル」が始まりました。
大正初期に建てられた重厚な洋館と、約90種180株のバラが織りなす旧古河庭園で、秋ならではの バラの美しさをご堪能ください、とHPに載っています。
台風が来る前の穏やかな休日。薔薇の花を求めて出かけました。
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- 私鉄
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上中里の駅から歩きます。
駅のすぐそばに、上中里不動尊があります。
摩利支天と不動明王です。 -
蝉坂を登ります。
六阿弥陀堂の途上でもある蝉坂という名称は江戸時代の後半にはあったようで、幕府の編纂した地誌『新編武蔵風土記』上中里村の項に「平塚明神ノ傍ニアリ、登リ三・四十間」とあり、このあたりから平塚神社の参道に沿って約五十四mから七十二m余を登る坂道だとあります。坂を登りきって少し歩くと日光御成道と合流しますが、西ヶ原一里塚の方向へ右折してすぐに左折すると六阿弥陀堂第三番札所の無量寺へと向かう道に入ります。明治時代初期の『東京府志料』では「或云、攻坂ノ轉訛ナリト」と室町時代の平塚城をめぐる合戦を彷彿とさせるような坂名の由来を記しています。現在の坂道は昭和十八年七月、昔の坂を拡幅して出来た道です。 -
平塚神社です。
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「武略神に通じ、騎射神の如し」と云われた平安時代末期の武将である八幡太郎源義家と二人の弟である源義綱,義光を祭っているそうです。
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旧古河庭園の入口です。
当園は、武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。
この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました。
ジョサイア・コンドル設計の洋館と洋風庭園、京都の庭師植治こと小川治兵衛が作庭した日本庭園が現存しています。
数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の見事な調和を実現している秀逸で代表的な事例であり、また、現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保存されている数少ない事例として重要であるとして、平成18年1月26日に国の名勝指定を受けました。 (HPより) -
石造りの洋館
1917年(大正6年)5月竣工。外観はルネサンス調。煉瓦造の躯体を、新小松石の野面石積みで覆っています。 -
財団法人大谷美術館が洋館の管理を行っています。洋館内部は1日3回、時間を決めて行われているガイドツアーに参加すると見学可能です。本館部分の1階から2階までを解説付きで見学できます。
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洋風庭園には、色とりどりの薔薇がきれいに咲いています。
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すべての薔薇に名前が提示してあります。
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バラフェスティバルは、春と秋に開催されます。
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洋風庭園は、テラスが階段状に連なるイタリア式庭園と、平面的で幾何学的に構成されるフランス式庭園の技法があわせて用いられているそうです。
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洋館と薔薇がいい感じで調和しています。
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洋館で紅茶でも飲みながら、薔薇を眺めたいです。
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異国の雰囲気
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薔薇の花だけではこうはいきませんね。
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薔薇の花の種類はいろいろありますな。
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離れて見てもいい風景です。
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日本庭園に来ました。
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濡鷺型灯篭
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十五層塔
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雪見型灯篭
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日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛により作庭されました。大正8年の完成です。
小川治兵衛は、山県有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園、南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭しました。 -
池に松
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奥の院型灯篭
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崩石積
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茶室
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大滝
十数メートルの高所から落ちる滝。 -
滝の音に癒されます。
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芝生の向こうに洋館。
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売店があります。
ここで一服しましょう。 -
バラのアイスを買いました。
ベンチに座り、いただきます。 -
バラの花びら入りです。
あまり甘くなく、すっきりした味わい。 -
洋館を眺めならが、バラのアイスをいただきました。
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洋館の玄関
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旧古河庭園を後にして、飛鳥山に向かいます。
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