2012/04/08 - 2012/04/12
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kubochanさん
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寺町(尼崎市)
尼崎市の寺町は元和3年(1617)に戸田氏鉄が現在の北城内・南城内に尼崎城築城を命ぜられ、それにともない城下町形成の一環として寺院ばかりを集めて作った町で、城地に当たるために移転した本興寺には同年12月付の棟札がのこされています。寺町には城地に当たる寺院のほか、中世以来町場にあった寺院、周辺にあった寺院や藩主ゆかりの寺院などが集められ形成されました。寺町は城下町の北西隅、武家屋敷の北側に当たり、町場から分離して寺院の力を弱めるとともに、巨大な建物群である寺院を配置して城に対する防備の役割をもたす目的があったとも考えられています。江戸時代初期(1635年)の城下絵図には20か寺の寺院が確認できますが、今日に至るまでには藩主の交替に伴う移転や廃寺などがあり、現在は11か寺が軒を連ねています。街中にありながらも周囲の賑やかさをよそに、江戸時代城下町の雰囲気を唯一伝える町です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
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広徳寺
広徳寺は、明徳元年(1390)京都大徳寺の言外宗忠和尚の開基と伝えられています。中世には大徳寺の塔頭如意庵の末寺でした。大物町から尼崎城築城にともない寺町に移転しました。絵本太功記十段目の「尼崎の段」や味噌すり坊主の逸話などから太閤ゆかりの寺として有名です -
甘露寺
甘露寺は室町時代、円誉上人源永が開いたと伝えられています。本堂は貞享4年(1687)に15世寂誉上人によって中興され、江戸時代中期の質素で優雅な浄土堂が建立されましたが、平成3年(1991)旧本堂のイメ−ジをとどめて改築されました。元は大物町にあり、尼崎城築城にともない寺町へ移転しました。 -
法園寺
法園寺は、室町時代に勝誉恵光法園上人が開基したと伝えられています。また、当寺には佐々成政の墓碑があります。成政は豊臣秀吉のもとで肥後国主在任中、領地内で反乱がおこり、その責により天正16年(1588)尼崎で切腹させられました。山門を入って左側の墓碑は複製で、実物は本堂内に保管されています。 -
大覚寺
現存する尼崎最古の名刹で律宗の寺院です。本堂以下の建物は明治10年の大火で焼失し、再建されたものです。寺伝によれば推古8年(600)聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じて長洲の浦に造らせた寺と伝えられています。中世の古文書(県指定文化財)が保存されています。中世の大覚寺の場所は、現在の南城内から東本町4丁目あたりで、残された絵図によれば寺内には市庭(場)が設けられ住民の公共施設としての機能も果たし、宗教だけでなく政治・経済・文化全般にわたる中心になっていたことが分かります -
大覚寺
弁財天堂 -
「芦刈山」由来
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契沖碑
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長遠寺
長遠寺の「大堯山縁起」によれば、観応元年(1350)日恩上人の開基と伝えられています。市場巽−現在の東本町から尼崎城築城に際して現在地へ移転しました。本堂と市内では唯一の多宝塔は、桃山時代の特徴がよく表れた建物(重要文化財)、客殿・庫裏・鐘楼の三棟は江戸時代前期の建造物(県指定文化財)です。兵庫県南部地震により大きな被害を受けたため3年をかけて修復工事が行われました。 -
長遠寺
鐘楼 -
長遠寺
庫裏 -
長遠寺
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長遠寺
本堂 -
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如来院
如来院は、奈良時代に聖武天皇の勅願により行基菩薩が神崎に釈迦堂を建立したのが始まりと伝えられ、法然上人と遊女にまつわる物語が語り継がれています。本堂・表門が尼崎市指定文化財に指定されているほか、銅鐘(市指定文化財)は、応永32年(1425)の年号があり、境内の嘉暦2年(1327)花崗岩製の笠塔婆(市指定文化財)は両親の33回忌の供養の為に建てられたものです。 -
如来院
銅鐘 -
如来院
本堂 -
専念寺
専念寺は平重盛が法然上人に帰依し、西仙房心寂を招いて治承元年(1177)、東長洲に建立したと伝えられています。重盛の菩提所であったことから朱塗りの山門を許されたと伝えられ、山門に朱色を施して通称「赤門の寺」と呼ばれています -
専念寺
本堂 -
専念寺
赤門 -
寺町通り
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善通寺
元禄年間(1558〜69)覚阿上人の開基と伝えています。時宗の四条派金蓮寺の末寺ですが、近在の時宗寺院の筆頭の位置を占めていました。一遍上人遊行の地として尼崎は深い関わりがあります。寺内には秦武文の碑が建てられ、境内八角堂には首無し地蔵がまつられて信仰を集めています。 -
善通寺
本堂 -
本興寺
本興寺は法華宗四大本山の一つで、応永27年(1420)日隆上人の開基した寺院。開山堂・三光堂・方丈は室町・桃山時代のすぐれた建造物として国の重要文化財に指定されています。開山堂の日隆上人坐像(重要文化財)は、生存中に堺の仏工浄伝に命じて作らせたと伝えられています。方丈・開山堂などが兵庫県南部地震で大きな被害を受けたため3年かけて修理工事を行いました。 -
本興寺
開山堂 -
本興寺
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本興寺
大方丈 -
本興寺
本堂 -
全昌寺
寺町で唯一の曹洞宗の寺院。戸田家の菩提寺として現在の滋賀県大津市に建立されましたが、元和3年(1617)戸田氏鉄が尼崎藩主として尼崎へ所替えの際、随伴した僧、雪山呑秀和尚によってこの地に再興されたものです。開基は、戸田甚五郎と伝えられています。また、曹洞宗の本山である総持寺(神奈川県)の輪番地寺院としてたびたび禅師を送り出した名刹です。文政5年(1822)出火の際に貴重な記録類をはじめ多くの品々が焼失しましたが、山門、鐘楼堂、本尊釈迦如来像、月舟宗湖筆の観音堂扁額、十六羅漢、魚籃観音像、涅槃図は焼失を免れました。檀家には尼崎藩旧松平家の家臣も多く、漢学者の豊島成温、内田頼重らの墓所としても知られています。鐘楼堂は阪神・淡路大震災で被災し、再建されました。 -
全昌寺
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桜井神社
桜井神社は、明治15年(1882)に尼崎藩主松平氏の祖、桜井内膳正信定を祭神として、旧藩士の有志が、旧尼崎城内の西大手橋東詰にあった家老屋敷跡に建立し、その後国道43号線敷設のため現在地に遷宮しました。尼崎藩や尼崎藩主にゆかりの資料が残され、尼信博物館で公開されています。また境内には尼崎城の九曜紋入りの瓦が保存されています -
稲荷神社
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