2012/11/15 - 2012/11/15
143位(同エリア359件中)
captainfutureさん
- captainfutureさんTOP
- 旅行記118冊
- クチコミ7件
- Q&A回答1件
- 232,423アクセス
- フォロワー46人
11月15日(木)
今日は、まずダッカの西、ニューマーケットの賑やかな生鮮市場へ。その後ウルドゥー語のパキスタン統治下で、ベンガル語を護り命を落とした人の追悼碑ショヒド・ミナールと独立戦争博物館を訪れる。
18:30には今旅のメインの一つ、世界で唯一、遊覧船ではなく定期航路を運航している現役の外輪船ロケットスチーマー(1928年製造)に乗船。
風前の灯火といわれ、いつ廃船されてもおかしくないとされるこの船に乗ることができラッキーだった。
1タカ≒1円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
-
今回のルート:
11/11 成田・上海・昆明→ /12 首都ダッカ→ /16 蒸気船ロケットスチーマーにてモロルゴンジ→ /16 クルナ(/17 ハゲルハット)→ /18 クシュティア→ /20 ラジシャヒ(/21 プティア)→ /23 ダッカ→ /27 昆明・上海・成田
青線:航路、黒線:陸路 -
朝食はバングラ式を選択。やはりアメリカ式よりボリュームもあるしずっと美味しい。
8:30。まずはニューマーケットへ。
私のパンジャビ、イスラム帽姿に警備員が歓声をあげてくれる。
早い時間の方が活気があるらしいので、少しでも早く着くよう今回はリキシャでなくCNGをホテル前で一緒に探してもらうが、空車がなかなかつかまらない。
目の前をスクールバスならぬスクールリキシャが通って行く。
ワッペンの付いたお揃いのパンジャビ式制服。幼稚園かな。 -
10分程で拾うことに成功。
いつものように警備員が交渉してくれるが、200タカ(200円)、割引しても距離があるからと180以下にはならない。
警備員が、少し高いがどうする?という顔をしてくるが、今回は時間節約のため、また次の空車はいつ来るか分からないので、これに乗ることに。
初CNG乗車。金網で覆われ、ちょっと監獄みたい。 -
運転席とも金網で仕切り。
かつての騒音と排ガスを撒き散らした3輪タクシーが、ダッカでは環境に優しい圧縮天然ガスで走るこのCNGに取って代わっているとのこと。
その効果か、ダッカでは大気汚染が10年前より良くなっているらしい。
地球の歩き方によると、地元の人はメーターの表示金額に10〜20タカ程度プラスして払っているが、外国人は地元価格の2倍程度から交渉スタートらしい。
私も地元の人と同じように、事前に交渉せずサラっとそのようにやってみたいが、外国人の私は下車時にトラブルになることは必至。
最終日、同じくCNGでホテル前からこの何倍も距離がある空港まで行ったが、それでも400タカ。 やはり、今回は高いようだ。
写真は運転手。 私を見てネパール人かと聞いてくる。
私の深いイスラム帽が、一見あちらの民族帽に似ているのかもしれない。 -
やはりリキシャよりずっと速い。 当り前か。
10分程走ったところで、歩道橋のたもとに花市発見。 ちょっと停車してもらう。
写真は、メッセージボードと箱詰めの飾り付けを買っていくお客。 -
マリーゴールドの見事な花輪
-
こちらはグラジオラスかな。
-
やはり売れ筋はマリーゴールドの花輪のようだ。
2日前のヒンズー教のダケシュワリ寺院での新年の祭りディワリでも、神前に同じ花輪がたくさんあった。
この祭りは何日か続くようなので、その需要もあるのかもしれない。
もう時間帯が遅いのかどこか閑散とした感じ。 -
隣のメッセージボード作成屋さん。
買った後で、空白の部分に自分のメッセージや相手の名前を書き込むのだろう。 -
同上
-
中央は白バラ
-
手前はもバラ
-
ここでは花輪作り
-
針に糸を通して一花一花繋げていく。 一つの花輪にいくつ使うんだろう。
-
飾り付け用具の店。 10分停車後、再び出発。
-
それから10分経った9:10に、ニューマーケット到着。
門をくぐっても余りに静かで、せっかく来たのに今日は休みかと戸惑う。
人に聞くと、生鮮売り場はいったん外に出て、別の入口から入った方が早いとのこと。
人に聞きながら進んで行くと、三叉路に肩に男性は銃を、女性は救急箱を掛けた勇ましい像が。 -
囲いには1971年にバングラが独立を勝ち取っていった過程がモザイクで描かれていた。
-
同上
-
同上
-
その向かい側には門があり、同じくモザイクで描かれた肖像が。
地図で見ると、ここも広大に広がるダッカ大学敷地の一部らしい。
門を入ったところの警備員に入っていいか聞くと、たまたまそこにいた芸術学部のモンジュールさんが中を案内してくれることに。 -
入って直ぐ正面にアパートのような建物が。 ここは芸術学部の学生寮とのことだ。
彼はここに住んでいて、寄って行きませんかと言ってくれるのでお邪魔してみることに。 -
モンジュールさん。 上の写真の入口を入ったところ。
写真右上の二人の古い肖像画は、ここの出身者でバングラ芸術界では有名な人とのことだ。 -
ここにもアルポナの花模様(ベンガルの農村をルーツとした床に描かれる花文様)
-
2階のベランダ兼廊下
-
その廊下に面した一室には、下絵に小さなモザイクを張り付けたまだ製作途中の肖像画が。
-
同じフロアの彼の寮室。 天井にはこの国の古典楽器が。
-
彼の城はそこをまたキャンパス等で4つに仕切った一角。
狭いが何だか居心地良さそうだった。 -
自作の一つ。 パソコンには彼の作品がたくさん保存されていて、いろいろと見せてくれた。
-
これはCNGを描いた絵で、ここに入学後初めて描いたものらしい。
-
門前に戻り、この国のあちこちの施設に名が冠せられている国父ボンゴ・ボンドゥの像で記念撮影。
写真の右奥始めこの広場のあちこちに製作途中の作品が置いてあった。
別の施設に行ってもっと作品を見せてくれようとしたが、この後ニューマーケットにも行くので握手しお礼を言って別れる。ここには20分位いた。 -
彼の友人が生鮮売り場まで案内してくれることに。 途中にあった映画ポスター。
-
10時到着。 生鮮売り場入口にて彼の友人。 お礼を言い別れる。
-
旅行人ガイドブックには、
『中央のモスジットを囲む形で小さな商店が軒を連ねる。ダッカ大学のお膝元だけあって書店が充実しており、バングラデシュ全土地図、ダッカ地図等も売っている。衣類、宝石、バッグ、靴、食器や調理器具等、生活に関する全てが揃う。』
ニューマーケットの生鮮市場は是非覗きたい。全国から集まる活きの良い魚、生きたままの山羊や鶏、珍しい野菜や果物等、熱気に圧倒される。』 -
最初に挨拶した人が案内役を買って出てくれて、この人を撮ってやってくれ、次はあの人、というふうに生鮮売り場の店を片っぱしから案内してくれた。
この辺りは鶏肉屋さん -
アヒル
-
さばく場所も隣接している。
-
-
-
ガチョウかな
-
真ん中の白いシャツの男性が案内役
-
マスクは必須
-
ひよこ。 まとめて量っている。
-
-
鶏肉売り場から離れ、ここはチーズと壺に入ったバングラのヨーグルト「ドイ」。
カメラ構えると、フタを開けてくれた。 -
調味料売り場
-
お米。 窓の外から稲穂が見える農家の様子が描かれた米袋。
-
上はいも類、下は玉ねぎ
-
上の店を角度を変えて。
-
さまざまな包み袋を売る店
-
この辺りから山羊肉店
-
ここもさばく場所が隣接
-
解体されていく
-
-
いつも切り身しか見ないのでピンとこないが、改めて命を頂くんだなあと思ってしまう。
-
「今度はこっちを撮ってくれ。」
-
レバーかな
-
-
子供も大人に交じって斧のような包丁を振るう。
-
フックに吊るす。
-
ここも包み袋屋
-
干物屋
-
こんな大きな魚まで。 どれも炙って食べたら美味しそう。
-
この辺りから魚売り場
-
バングラにはあれだけ河川があり、またベンガル湾にも面しているので様々な種類の魚を食べていそうだ。
-
バングラで一番良く食べられているという国魚イリッシュ(ニシン科)。
良くカレーに使われるらしく、後日、輪切りをカレー味にて食べる。
値段は肉料理より高かった。 街中でイリシュの行商さんも見かけた。 -
この国で良く見かける固定された包丁。
野菜を切る時も、器用に使って切り分けていた。 -
-
コイの仲間かな
-
大きな魚。 何という名だろう。
-
この辺りから八百屋。 ゴーヤも見える。
-
巨大なオクラのような。
国魚イリシュに対して、同じく料理にして人気があるという国花シャプラ(蓮)を聞いて回って探すが、皆笑いながら、無いよとのこと。
時期が違うのか。 茎の回りの薄皮を剥いて調理するらしい。 -
この巨大な野菜?は何だろう。 どうやって食べるのだろう。
右は案内してくれている男性。 -
上段には青いパパイヤ。 野菜として食べるのかな。
-
噛みたばこの葉
-
建物の外にも続いている八百屋。
左の黒いのは「菱の実」。左奥は「ざぼん」か。 名前の分からない南国の野菜や果物がたくさん。 -
スターフルーツも見える。
-
建物前の様子。 左奥はチャイ屋で一服する人達。
-
サイコロ振って駒を進めるゲーム。
-
こりゃカネ賭けてるな。 後日別の場所で同じゲームをやっている人を見る。
-
食堂
-
生鮮売り場を後にする前に、さっきの男性に一言お礼を言ってからと思い探したが、いつの間にかいなくなっていて心残り。
-
前の通りを進むと果物屋が並ぶ
綺麗な娘さん、親子かな。 分銅で量っているのはパパイヤだろうか。 -
同上
-
同上
-
しばらく行くと今度は雑貨屋が並ぶ
-
階段を上がって2階に行ってみる。
今度はガラリと雰囲気変わって男性用衣料品店。
居並ぶ店頭ごとにミシンがあり、直しもやっているようだった。 -
廊下は吹き抜けになっていて、1階の雑貨、食器、電気製品店など見える。
-
一角に軽食屋が。 ちょうど12時。 これを探していた。
旅行人ガイドに、『ニューマーケット内の軽食堂で出すチョッポティ(豆をすっぱ辛く煮たもので、上にパリパリのチップスが散らしたもの)は美味しいと現地で人気がある』とのこと。 -
偶然にもそれらしきものをちょうど作っている。
聞いてみるとその名物チョッポティとのこと。 -
早速注文。 向かいの客も同じものを食べていた。
-
ここのはマッシュポテトをパリパリの皮に包み、その上の刻んだ香草等の野菜を散らし、甘酸っぱいタレを掛けたもの。 30タカ(30円)。
結構美味しい。 水500mlペット水は15タカ。 -
これだけでは足りないので、ハンバーガー(60タカ)も注文。
-
この後、1階にガムチャ(手ぬぐい)、ルンギ(腰巻)店があるらしいので行ってみる。
両方ともこの国の男性が良く身につけているもの。
いったん外に出てみる。
目の前にはこのマーケットの中心にあるモスク。 ここを囲む形で小さな商店が連なっている。 -
今階段を下りて来た入口。 ここが正面玄関のようだ。
-
その前の通り。 雑貨店や子供服店が並ぶ。
-
さっきから動かない。
-
またさっきの入口の1階へ入る。 吹き抜け。3階建てのようだ。
旅行人ガイドのニューマーケットの売り場詳細地図は参考になる。
滞在中は地球の歩き方と並行して使う。 -
食器店等の並びの後、写真左にガムチャ、ルンギ店が何軒か連なるところが。
吹き抜け3階からマネキンが覗く。 -
この店に入ってみる。
-
広げてくれているのがリキシャマンが良く首にまいているガムチャ(手ぬぐい)。
タオルのように手や体を拭いたり、まとったり毛布のようにしても使えるよとジェスチャーしてくれる。 -
3階に上がってみると、男性用の衣料や雑貨(香水やサングラス等)を扱う商店街。
建物が終わったところからは、歩道橋と繋がっていてミルプール・ロードを渡れるようになっていた。
歩道橋から振り返って見たところ。
右の看板の石鹸広告の黄色のサリーの女性は有名な女優らしく、TVで対談番組をやっていた。何度も流れていたTVCM。
http://www.youtube.com/watch?v=OJwPRJVN7IM -
3階商店街の終わったところから、マーケット中央にある先程のモスクが見える。
-
同じところから歩道橋を見る。
歩道橋下を南北に走るミルプール・ロード。 正面奥に延びるのがエレファント・ロード。
右手前の男性はタバコのバラ売りをしていた。 -
歩道橋からミルプール・ロード北側を見る。
-
歩道橋から斜めに走るエレファント・ロードを見る。
この通りは隣のガルシア・マーケットを横切っていて、左右にはサロワカミューズ等の既製服店が軒を連ねる。 -
歩道橋からマーケット中央のモスクを見る。
-
歩道橋から再びミルプール・ロード北側を見る。
-
歩道橋半分は屋根付き
-
歩道橋を渡るとガルシア・マーケットが広がる。
先程のニューマーケット2、3階に男性用品店が多かったのに対して、こちらはサリーやサロワカミューズ、アクセサリー等、女性用品店が多いようだった。 -
ガルシア・マーケット
-
ガルシア・マーケット。
こちらの若い女性が良く着ているサロワカミューズ。 -
13:10、これからダッカ大学敷地内にあるセントラル・ショヒド・ミナール(ウルドゥー語のパキスタン統治下の1952年にベンガル語の公用語を目指したデモに警察が発砲、犠牲になった学生4人の追悼碑)へ行くことに。
歩道橋下のミルプール・ロードを南下してリキシャを捕まえやすいところに移動する。
チャンドニ・チョク(金や宝石店街)入口前にいたアクセサリーの行商さん。 -
途中にあったボラカ(BALAKA)シネマという映画館
-
警備員しかおらず。 今は休憩時間か。
上の看板の映画はインド製映画かと聞いたら、いや、バングラ製映画とのこと。 -
-
「ファースト・クラス」「ロイヤル・バルコニー」で窓口が分かれている。
-
再び通りに出て、リキシャへ。
セントラル・ショヒド・ミナールまで30タカで行ってもらうことに。 -
緑多いダッカ大学(学生3万人)敷地内を通る。
何の門だろう。 右には8人の顔と一丁の銃のモザイク画。
独立戦争時の犠牲者だろうか。 -
何度かリキシャに停まってもらいながら撮る。
この学生に聞いたら何とかホールの入口とか言っていた。 左にも像。 -
-
旅行人ガイドによると、文学部棟の前にある像「オポロジョヨ・バングラ」。
オポロジョヨは決して負けないの意味で、独立戦争後に建てられたものとのこと。
特にダッカ大学周辺はたくさんのモニュメントあるとあったが、その通りだ。 -
多分、ここは文学部棟
-
白亜の建物が。
-
中を覗くと、モスクらしき建物と何とかホールと書かれている。
-
ここにも記念碑
-
ここにも
-
通りでは多くの学生が行き交っている。
-
バス停
-
ここもダッカ大学敷地内
-
同上
-
同上
-
30分位かけて、ようやくセントラル・ショヒド・ミナール到着。
あちこち寄り道してもらったので、10タカプラスして40タカ払う。
リキシャマンは、ありがとうの代わりに首を横に傾けニコっと笑う人が多い。
写真はショヒド・ミナール前のサトウキビ・ジュース屋。 -
セントラル・ショヒド・ミナール:
東パキスタン(現在のバングラ)を統治下に置いていたパキスタンがベンガル語を公用語として認めないことに抗議したこの敷地で起こったデモに、1952年2月21日に警察が発砲、犠牲になった学生4人を追悼する碑のようだ。
中央の大きい塔が母親である「言語」を表し、両脇の4基はそれを護って犠牲になった4人の学生を象徴しているとのこと。
バングラ滞在中、このミニ・レプリカはあちこちで見かける。ダッカ滞在先のホワイト・ハウス・ホテルの斜め前にもあり、なんと東京・池袋にもバングラ政府が寄贈したレプリカがあるそうだ。(追記:2012年12月18日に見てきました!)
ショヒド・ミナール(ウィキペディア。池袋のは一番下に写真あり)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%92%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB
犠牲になった2月21日はベンガル言語運動の記念日に制定され、国民の祝日になっている。この日は、ここに多くの人々が集まり、犠牲者を偲ぶ式典が行われているとのこと。 -
ギター片手に語り合う高校生。
-
せっかく写真を教えてもらったメールアドレスに送ったのに、戻って来てしまい残念。
-
すぐ隣の建物。政党の建物かな。
右の女性はバングラデシュの二大政党のひとつ、アワミ連盟の党首で現首相。また建国の父ボンゴ・ボンドゥの娘でもあるシェイク・ハシナ(行政の長)。
この後は独立戦争博物館へ。
行き交う学生にリキシャ交渉を頼むが、道が複雑らしく誰も行きたがらない。その中でオレ知っているよというリキシャマンがいて、40タカでその人のリキシャで行くことに。 -
ダッカ大学(生徒3万人)の広大な敷地が広がる。
-
彼は簡単な英語ができ、通り過ぎる建物を説明してくれる。
バングラデシュの国鳥ドエルの像とのこと。 -
この国で一番美しい建物と言っていたカーゾンホール(現ダッカ大学科学部棟。1904年にインド総督カーゾンによって建てられたタウンホール)
-
スクールバスならぬスクールリキシャ
-
最高裁判所(元イギリス行政官の宿舎)が右に見える。
-
その手前の公園敷地内にチシュティ聖者廟。
旅行人ガイドによると、『他の聖者廟のように遊行者達の姿を見かけたり、歌を聞いたりすることはできないが、夕方になると聖者廟前の大きな木の下にバウル(吟遊詩人)達が集まる。その夜どこかで開かれる催し物の主催者達はここに着て、希望にかなう歌い手を雇い上げていく』
大きな木とは、どの木だろうか。 -
-
さっきのチシュティ聖者廟のある公園の入口前
手信号待ち。 警官が無線で対向の警官と話しながら、交通整理。 -
15時、独立戦争博物館到着
あちこち寄り道してもらったので30分掛った。
いろいろと案内してくれたり、何度も快く停まって撮るのを手伝ってくれたため、30タカプラスして70タカ渡す(写真のリキシャ)。 やはり昔、英語を勉強していたとのこと。握手して別れる。 -
入場券5タカ。
通し番号が振ってあり、私はこの博物館ができて505804番目の入場者のようだ。
(写真左に、ちょうど5日前の2012年11月10日に設立866週目になり何人入場者とある。)
冬季(10〜2月)は10〜17時まで。ガイドブックには18時までとあったが、それは夏季(昨日17時ちょっと過ぎに、まだ開いていると思って来てしまった)。
http://www.liberationwarmuseum.org/ -
荷物を預け中へ。 中は撮影不可。
館内に持ち込まなければOKとのことで、周囲と外から見える館内を望遠で撮る。 -
国旗の緑は自由と肥沃な大地を、赤は昇りゆく太陽と独立の時に流された国民の血を現しているとのこと。
バングラの当初の旗には、写真右のように赤い円の上に金色でバングラ地図が描かれていたらしい。 -
ちょうどさっき行って来たダッカ大学敷地内でのパキスタン軍による学生や教師への大虐殺の写真、小さな子供が拳を振り上げ真剣な表情でデモの先頭を一人で歩いている写真が特に印象に残っている。
国の独立のため死んでいった沢山の犠牲者の写真やガラスケースに積まれた遺骨に、ちゃんと独立できて今こんなに発展しつつありますよとそっと手を合わせてしまった。 -
日本でも動きがあったらしい。
当時、この戦争で発生したバングラ難民を助けようと日本で講演や募金の活動をした日本人やバングラ人、戦場で撮り続けた日本人ジャーナリストの日本の新聞や雑誌の切り抜き等も展示されていた。
他には独立後の飢餓救援でビートルズのジョージ・ハリソン主催で世界中のミュージシャンが参加した「Help Bangladesh」のレコード等も展示。
出口には張り紙がしてあり、当時の資料をお持ちの方は是非当館に寄贈して下さいとあった。
まだ僅か41年しか経っていない出来事だったことを改めて知る。 -
見学後は中庭でチャイを注文。街中の今までのチャイではなくティーバックで来た。 一息付く。 8タカ。
店頭にはなぜか日本の外務省発行の日本紹介のオールカラー月刊誌が置いてあり、誰でも読めるようになっていた。この時の特集は新幹線。 -
16:10、博物館の警備員さんに交渉してもらい、ホテルへ帰るためにリキシャに乗る。
近くではまたデモをやっていた。もう3日連続。
写真は途中にあった映画の看板。 -
この辺りは集中している。
バングラの映画看板は写真ではなく、絵で描かれているものが多い。
確かにそっちの方が肉感的で迫力があるのかもしれない。 -
その近くにあった映画館
-
その映画館を手信号待ちで振り返って撮ったところ。
-
大通りに出る。
-
16:30。 15分でホテルに到着。 乗ってきたリキシャ。
デザインが見事なので撮らせてもらった。 -
まずは18:30出港のロケットスチーマーでの、明日3食分の食料を買い込む。
近くの雑貨店で朝食用にチョコ味パンケーキ(75タカ、写真手前)。 -
チャイ屋にぶら下がっていたバナナ4本(1本8タカ)。
-
昨晩行ったハンバーガー屋で、昼食、夕食用に種類の違うハンバーガー(大)2個。
それとテーブル席で今日の夕食としてハンバーガー(大)と野菜サモサ2個を急いでかきこむ(写真)。 合計185タカ(185円)
奥に見えるのはミスティ。 -
ホテル到着は17:10。
フロントに預けておいたバックパックを受け取り、来週再会の挨拶をする。
船着き場ショドルガットまでこの時間は渋滞するので、急げ急げと言われる。
いつもの警備員さんに表を走るCNGに交渉をお願いし、250タカ(250円)で行ってくれることに。 17:15。
やはり渋滞するとのことで、これ以上は下がらない。
18:30出港の船に乗ることを運転手に伝えてもらう。
案の定、グリスタン付近からスゴイ渋滞。
警官が懸命に交通整理をしているようだが、バス、乗用車、バイク、リキシャ、CNGが一つの道路に混在し、なかなか進まない。
排気ガスもすごく、マスクをする。
私はなすすべもないので、CNGの監獄のような金網越しに固唾を飲んで見守る。
ある交差点からスッと進めるようになり、17:55に40分掛って船着き場ショドルガット到着。 何とか間に合いそうだ。 -
引っ切り無しにリキシャやCNGがショドルガット前で乗客を降ろしていく。
一息付く間もなく、入場券4タカ買って中へ。 -
構内で1.5Lペット水2本(計50タカ)買う。店員さんが私の必死の形相にタダゴトでないと感じ取ってくれたのか、表に出て英語で丁寧に停泊場所を指差して教えてくれる。
背中と腹、手にも重たい荷物を持ち、小走りでこの橋を渡って、 -
桟橋へ。 ロケットスチーマーは左の一番奥とのこと。
-
当日予約無しでも買える3等チケット売り場
-
後ろを振り返ったところ。 10隻位を横目に急ぎ足。
-
18:10、ようやくかのロケットスチーマーに到着。
周囲の近代的な船に比べて随分小さく見える。
世界で唯一、遊覧船ではなく定期航路を運航している現役の外輪船とのこと。 -
次々乗り込んで行く。
いよいよ乗り込むんだなあと、はやる気持ちを抑え、日本からJAVAツアーに事前予約し昨朝ホテルで手渡ししてもらった乗船券を見せる。
一等船室はこの上とのこと。急な階段を上っていく。 -
その乗船券。 メールでやり取りしていたルベルさんがバイクで届けてくれた。
一等船室貸切40ドル(二人分)+配達料5ドルで計45ドル。
非常に丁寧な人で、日本語通訳も揃えているとのこと。 日本人旅行者の扱いに慣れているらしい。 名刺には日本語で『日本人のためのバングラデシュ旅行・JAVAツアー、「ルベル」と呼んでください!』とあった。
一か月前にBIWTCに直接予約しようと自宅から電話したところ、ゆっくりとした英語で話してくれ、予約は2週間前から受付するので、その時にまだ電話してくれとのことだった。
直接買えば一等船室貸切二人分 2,420タカ(2,420円)とのことだったが、メールでやり取りできるこの旅行会社に手配してもらうことにした。
他の現地日系旅行会社にも問い合わせたが、非常に不安定な運航なため、日時指定不可、また配達不可とのことでそこは諦めた。 -
20部屋位ある一等船室は、長テーブルが置かれた細長い楕円形の食堂を囲むように並んでいた。
早速スープ等を召し上がっている御婦人も。 私は6号室。
食堂に入ると6号室付き(専用ではない。まとめて何室か担当らしい。)の初老のボーイさんが、部屋へ案内してくれた。
写真は部屋の様子。 カーテンの向こうは昔は窓だったらしいが、木で塞がれていた。
枕元にペットボトルの置き水があったが、フタが開いていたのでどこかで詰めたものだろう。 -
エアコンがガンガン効いていて寒いぐらい。
3時間後には止まっていた。その後は2台の扇風機を使う。 十分涼しい。
ベッドは清潔。ベッドや床、洗面台にも防虫剤の白い玉が置かれていた。
蛇口からも水は出る。 石鹸、タオルもあった。 TVはつかない。 -
きっかり18:30出港。
-
どんどんダッカの灯が離れていく。
次第に星がたくさん見え始める。 私が唯一分かる星座のオリオン座の中にも、真ん中の3つ以外にたくさん星が見えた。 -
一等船室専用デッキには、風にあたる乗客が集まっている。
外国人は他に若いバングラ系オーストラリア人夫婦。
肌の色は他のバングラ人と同じだが、どこか雰囲気が違うなあと思っていた。
以前はゴールドコースト近くに住んでいて現在パース在住。これから両親と一緒に故郷の町に行くとのこと。
前住んでいたところには日本人がたくさんゴルフしに来ていたよと話し、私の顔を見て一発で中国人でも韓国人でもなく日本人と分かったとのことだ。
握手も他のバングラ人はイスラム圏にもれず、優しく包むようにするが、欧米人のように力強く握ってくる。
外国人は他には、二等船室にいた援助関係で途中の小さな町で降りていった欧米女性2人のみだったようだ。 -
23時に着いたチャンドプルという港町。 (下の写真の地図で、ダッカ含めて右下3つ目の★。 同時期に同じ航路を旅した4トラ・康さん情報。 ありがとうございます。)
いろいろな港に立ち寄りながら進んで行く。 -
食堂にあった地図。 航路までは記されていなかった。
他の方のHPで、この同じ写真を撮り船員さんに聞き込みし航路を書きこんだ方の地図があったので、それを参照していく。 -
23時、食堂は船員さんの寝室に早変わり。 一等船室がこのように並んでいる。
今日の万歩計2,500歩。
明日は、15時終点モロルゴンジまでの間、船長室・二等・三等船室を探検、下船後、バスでクルナへ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (8)
-
- 康さん 2014/03/02 00:04:07
- まいど!
- おじゃいまします♪
最後から3枚目の夜の寄港地は『チャンドプル』
最後から2枚目の寄港地一覧(レプサ号には、こんなんなかった)でみると
ダッカから右下へ3個目の赤星の場所です。
グーグルマップをPCで開いて
23.229132,90.643990
と、入れてください。
港の位置が座標で出ますよ〜♪
今になって旅行記編纂作業のため
GPSデータ解析をしててふと気付いたんで投稿しました。
- captainfutureさん からの返信 2014/03/02 19:23:37
- RE: まいど!
- いらっしゃい♪
>と、入れてください。
おおお〜〜〜、『チャンドプル』出てきました!
スゴイ。こんなことができるんですね。
またまた康さんのお陰で、不明だった街の名が判明しました♪
さっきGPSデータロガーなるものを検索してみました。
これは旅先に持ち歩くと、ホント便利ですね。これこそ文明の利器!( 私、旧い人間なんです(^_^;) )
特に私も街歩き派なので重宝しそうです。
欲しくなりました。^_^
- 康さん からの返信 2014/03/04 19:13:27
- RE: RE: まいど!
- 細かいことを言うと…
チャンドプルはGPS解析をしなくても名前を寄港時点で知ってたんです。
と、いうのも最初の寄港地で現地語の看板…
船員で客室係(食堂係?)と思しき人に『ココどこ?アレ、どういう意味?』て聞いたんですよ…んで、積載に手間取って出航が遅れる事、日本の援助で建設された感謝文が看板に書かれている事など丁寧に説明してくれたんで、若干のチップを渡したんですわ…
ただチップを渡すのもイヤラシーかなと思って、紅茶も一緒に注文して10TKほど渡したんですよ。そしたら、それ以降2,3時間おきに運行を教えてくれて注文も取りに来て有益な情報をくれた時だけ10TKという暗黙のルールが彼との間に出来た…と言うわけです(苦笑)
1等船室で私のところにいつも“いの一番”で面倒を見に来てくれるので非常に快適な船旅でした。全部で使ったTKチップも60ほど。リキシャ2回分で1等から特等に格上げなら安いモノです。
位置座標はGPSで解析ですが、寄港地はこの船員のインフォメで記録しています。
また、ばら撒きかもしれませんが私の祖父が欧州留学している貿易商でして(生きていれば120歳くらい・笑)戦前のまだ植民地主義が横行していた時代に世界旅行してるんですよ。そこで聞いた先進国民の紳士はこうあるべきだ…という話を元に立ち振る舞ってみましたところ、このような1等2等と明確な階級がある場所では非常に有効だという事が理解できたというわけです。
って、長い話しで毎度すみません。
ちなみに、私が利用しているGPSロガーはコレです。
http://www.iodata.jp/product/mobile/gps/gpslog/
単三電池で10時間、エネループで12時間駆動。
記録も2日〜10日分は記憶します。
- captainfutureさん からの返信 2014/03/04 21:42:43
- RE: RE: RE: まいど!
- 康さんのお話を伺っていると、お金も使いようなんだなぁとつくづく思い知らされます。
これこそ、“生きた”お金の使い方。ちょっとの出費で大きな差がつくとはこのことだと思いました。
>また、ばら撒きかもしれませんが私の祖父が
あの当時で欧州留学とは素晴らしい!
なるほど〜。実際経験された方からお話を聞くと、真に迫るものがありますもんね。
>って、長い話しで毎度すみません。
いえいえ〜。
GPSロガー、見てみました。
僕もちょうど先日これをネットで見ていました。
またまた欲しくなりました(^_^;)
-
- 鯨の味噌汁さん 2013/01/10 11:45:07
- 戦争で国名が変わった時代でしたね。
- captainfutureさん
相変わらず中身の濃い旅行をされてますね〜、写真ともどもゆっくりお邪魔してます。
バングラディシュの独立戦争、懐かしいです。
私が中学生のころで、連日新聞で大きく報道されていました。
確かその前は「東パキスタン」という国名でしたよね。
インドが真ん中にあって、左右に国名が沸かれれているなんて不思議な国だなぁ、と子供心におもっていました。
新聞の戦争報道があって、しばらくすると世界地図に乗っている国名が変わっていく。
多分、私たちの世代では初めて体験するイベントだったと思います。
思えば、あのころ国名が変わるのは、たいてい、戦争によってでしたね。ベトナムもしかり・・・
- captainfutureさん からの返信 2013/01/11 00:57:45
- RE: 戦争で国名が変わった時代でしたね。
- 鯨さん、
きっと当時の地図では何て大きな飛び地だろうかと思われたことでしょうね〜。
街を歩いていてあの国では圧倒的に若い世代が多っかたのですけれど、その中に当時を知る世代を見かけると、この人も独立戦争に参加したんだろうか〜等と想像しながら歩いていました。
>多分、私たちの世代では初めて体験するイベントだったと思います。
>思えば、あのころ国名が変わるのは、たいてい、戦争によってでしたね。ベトナムもしかり・・・
その後の東欧の共産圏がパタパタとドミノ倒しのように倒れて国名が変わっていったのとはまた違い、本当に泥沼の戦いで得たものだったんでしょうね・・・。
-
- シノカさん 2012/12/19 22:41:39
- こんばんは。
- TOPの写真、ステキですね♪
やっぱり趣ありますね、ロケットスチーマーは。
内装もレトロな感じでいて、意外としっかりした
造りなんですね。
ベッドが清潔なのは申し分ないし(笑)
いいなぁ、captainfutureさんの旅行記見ていて、
益々乗りたくなっちゃいました。
市場にも豊富な食材と案外カラフルな商品が並ん
でいるんですね。
知人がバングラに行った時、現地の人に「これを
日本で仕入れてくれないか」と言われてもらって
きた布が何の変哲もない無地だったので、そうい
う物しかないのだと思っていました(汗)
続きも楽しみにしています。
- captainfutureさん からの返信 2012/12/19 23:51:47
- RE: こんばんは。
- こんばんは!
コメント、ありがとうございます。
ロケットスチーマー、やはり良かったです。
どこか貴婦人という趣がありましたよ。
ベッドが清潔、これ一番大事ですよね。
一応念のため、寝る前に日本の薬局で買っておいた虫よけスプレー(ディートという成分が多く入っていて第二類医薬品のもの)を軽くベッド一面にスプレーしておきました(肌でないのでどこまで効き目があるかわかりませんが)。それと、どのホテルでもでしたが、一応蚊取り線香を焚いておきました。
バングラは結構、モノはありましたよ。
市場は日本では見かけないものも多くあって、歩いていて楽しかったです。
TVでもいろいろな商品のCMが流れていました。
ロケットスチーマー、無くなってしまわないウチに是非体験してみてください♪
続編、もう少し続きますので、また懲りずにお時間のある時にご覧になってみてください。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ダッカ(バングラデシュ) の人気ホテル
バングラデシュで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
バングラデシュ最安
535円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
8
177