1991/03/06 - 1991/03/20
18位(同エリア70件中)
がおちんさん
四川省の省都、成都にやってきました。
鉄道駅を出た途端、ツアーの客引きが群がってきてビックリ。しかも相当にしつこい。しょっぱなから強烈な四川訛りとコテコテの四川人気質に圧倒されてしまいました。
かねてから行きたかった中国四大仏教名山である峨眉山は、観光化されているうえ、こすっからい者達が訪問者を待ち構えているという、いかにも中国らしい「名山」でガッカリ。
成都は文化名所が多いけどスリも多く、感動と緊張と激辛を味わう刺激的な旅でした。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 徒歩
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1991年3月6日(水)
ウルムチから3泊4日の列車旅を終えて成都に到着。
駅舎を出た途端、ワーッと客引きが群がって来た。いくら断ってもついてくる。路線バス乗り場に並ぶと、ようやくあきらめてくれた。
四川人、しつこすぎ(笑)。
錦江のほとり、新南門に行く。 -
宿はバックパッカーの味方、交通飯店。
清潔なドミが10元で、タンタン麺とゆで卵の朝食付きだ。
人気があるので混んでて泊まれないこともある。
そのときは近くにある防空壕の宿、黒珈琲ホテル(5元)を利用した。こちらは空気が悪くてジメジメしており、不快だった。 -
成都は街のあちこちに茶店がある。
鳥を鳴かせあったり、マージャンをしたり、ゆるゆると時を過ごす。 -
右端は茶を飲みながら耳かきをしてもらうの図。
四川紳士たちのオアシス。 -
四川の鴨子は開き方が独特だな。
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亀さんも大人気。
しかしペットショップではない。 -
大声で客を呼び込む子供。
いつ解凍されたのか知らないが、イカが強烈な生臭さを放っていた。
こっちは鼻が曲がりそうなのに、みんな余裕の笑顔。
四川人、かなり強い。 -
四川の食文化は麻辣味を抜きにしては語れない。
最初は舌が火を吹き、口がシビレて頭がバカになりそうになるが、慣れとは恐ろしいもので、そのうち辛くないと物足りないと思うようになる。
要するに中毒みたいなものだ。
麺のスープは臓物ベースが多く、ちょっと臭いので好みが分かれるが、鉄鍋で熱々の麻辣味ゆえ、結果は「ヒーッ」となるのは間違いない。
もちろん火鍋も陳麻婆豆腐(この頃はラード使用)も、日本人が食べたら下痢は確実だった。 -
1991年3月8日(金)
成都駅前から出ている、峨眉山・楽山ツアーに参加する。
一人10元という値段は、自力で行くよりも格安と思われたが、実は現地で次々とオプションを強制されるシステムだった。
10元で全て楽しめると思った多くの中国人参加者からも不満が出ていたが、「俺には関係ない、嫌なら下りろ」と強気の運転手。
だったら最初から明記しとけばいいのだが、少しでも安い値段で客を釣ろうという魂胆がミエミエ。四川人はしたたかだ。
写真は左がツアーのバスチケット、右が現地で追加されたバスチケット。 -
峨眉山に到着。
初日は山の中腹にある洪椿坪(1120m)まで登り、報国寺(551m)に下山するルートだ。
スタート時は静かな渓流沿いを気持ちよく歩く。 -
山道の途中に、ピーナツを法外な値段で売る男達がいた。「猿に襲われたときに必要だ」という。そんなアホなと思って先へ進むと、本当に猿が襲ってきて、膝を噛まれてしまった。
実は猿は仕込まれていて、男達の合図で通行者を襲っていたのだ。「2元払えば追い払ってやる」と言うので、泣く泣くお願いする。
男が棒を持った手を挙げるやいなや、猿は崖に下りていった。
もう最悪だ。膝は腫れて、数日間痛んだ。
写真は下山時、同じ男が次の被害者を狙っているところ。
これ犯罪だよな。 -
こちらは本当に野生の峨眉ザル。
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ビビリながら峨眉ザルにピーナツをあげる妻。
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「どけどけ」と大声で登ってきたカゴ屋。
こいつらがまた、「カゴに乗れ」としつこい。
階段のエリアに待ち構えていて、つきまとってくる。 -
「旦那、ここまでついてきたんだから乗ってくださいよ、上まで20元でいいですから」と言うので、記念に妻を乗せた。
ところが、少ししか登っていないのにジュース売り場で止まると、「喉がカラカラだから飲ませてくれ」という。ジュース売りのオバサンも、「力仕事をしてるんだからご馳走してあげなさいよ」とか言ってくる。
「じゃ、飲みな」というと、3人の担ぎ手が2本ずつ飲み始める。そしてジュースも法外に高い値段なのだ。
カゴ代よりもジュース代のほうが高くつく。2軒目のジュース屋でも同じ展開になったので、ここでカゴを下りることにした。
私がバカだった。勉強になりました。 -
峨眉山は入山券のほか、各寺に入るのにいちいち金がかかる。
それはまだしも、山道に人工池を造って通れないようし、舟の渡し代として2元徴収されたのには閉口した。峨眉山は名だたる仏教名山かもしれないが、これじゃただの悪徳観光地だ。
先々月に登った雲南省の鶏足山のほうが、よっぽど純粋な山だった。 -
峨眉山の麓にある報国寺に到着。
ここには記念写真屋や猿回しが控えていた。 -
今夜の宿は人民解放軍の59805部隊が経営する招待所。
登記をするとき、外国人だからということで40元という高い部屋にされてしまった。おまけに結婚証明書が無いという理由で部屋を別々にされ、80元の出費となる。
「それは中国人専用の証明書でしょ」といっても「規定だ」の一点張り。そのくせテレビは映らない。
ま、外国人にとことん損をさせるわけだな。この借りはいつか返すぜ、中国。 -
文句ばっか言っても仕方ないので、豪勢に夕食だ。
レンゲの大きさに笑えた。 -
1991年3月9日(土)
早朝5時に解放軍の招待所を出発し、接引殿(2540m)までマイクロバスで上がり、ロープウェイに乗り込む。 -
ロープウェイのチケットには「80年代に造られた日本製である」と書かれており、ちょっと安心。
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ロープウェイを下りると、そこは極寒の世界。
雪で滑るため、わらじを買って先へ進む。 -
金頂(3077m)に着くも、視界はゼロ。
記念写真屋の猿が寒さに震えていた。
もうガッカリ。 -
峨眉山を下山し、バスで楽山へ向う。
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ところが大仏は修理中で、首から下には足場が組まれていた。
全くついてない。
翌日、三蘇祠に寄ってから成都に帰る。
門前で食べた東坡肉がメチャウマだったが、写真を失くしてしまった。
トホホ。 -
「二度と峨眉山なんか行かねー」と、鉄鍋麺を食べて仕切りなおす。
また、スリ対策のため中国製の服を買い、外国人に見られないようにした。 -
せっかく成都に来たので、市内にある名所や動物園にも行きまくる。
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三国志好きにはたまらない、武侯祠。
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水野晴郎みたいな劉備なんて・・・。
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趙雲のおじいさん姿にも衝撃を受ける。
ヒーローのイメージが崩れた。
いや、本当はこっちの姿が正しいのかも。 -
タンタン麺とワンタンを食べてショックを癒す。
さ、次は動物園だ。 -
さすがパンダの本場、四川省。
毛並みのツヤが違うし、とっても元気。 -
人が入っているのか?、と一瞬疑った。
上野のパンダは寝てばかりだけど、ここのはワイルドだ。 -
動物園で会ったチベット族の女性。
美しい民族服を見て、急にチベットに行きたくなってしまった。 -
当時、チベットへは成都からの団体ツアー(空路)しか許可されておらず、値段も高額だった。
成都から陸路でラサを目指す外国人旅行者(香港・台湾も含む)もいたが、大抵は捕まっていた。89年のラサ暴動以降、監視の目は厳しくなるばかりだった。交通飯店の掲示板には情報を求める書き込みが多く、旅行者同士でミーティングを行ったり、捕まった人の体験談を聞いたりしたものだ。
同部屋だった台湾人は、ドルゲで捕まったという。トラックの荷台に隠れていたが見つかってしまったそうだ。 -
うーん、どうしたものか、思案中。
行けるところまで行ってみるか。
※後ろはウサギ屋さん(食事中)。 -
康定へのパーミットを申請している間、都江堰に行く。
ここは紀元前3世紀に洪水対策のために造られた水利施設で、今でも農地の灌漑に使われているという。 -
橋はしっかり造られているが揺れる。
必死の形相で夫につかまるおばあさん。 -
そり返った甍の屋根が見事な南橋。
なんか煙が出ているが・・・。 -
煙の真相は串焼屋だったようだ。
火事じゃなくてよかった。
チベットへ続く道・バタン(巴塘)へ〜四川の旅1991に続く
http://4travel.jp/travelogue/10667226
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