1991/03/22 - 1991/03/28
259位(同エリア775件中)
がおちんさん
チベットに自由に行きたい。
成都から川蔵公路を通ってラサに行くルートは、当時チベットを目指す者にとって憧れのコースでした。
政治的な理由により外国人の入境はツアーでしか許可されず、陸路でラサを目指したバックパッカーの多くは公安に捕まって罰金を払わされたり、拘束されたりしていました。
成都の交通飯店には、「ゴルムド、玉樹、デルゲと何ヶ所からも入境を試みたけど駄目だった」と話す猛者もいて、監視の目は相当に厳しいことが予測されました。
私たちは「行ける所まで行こうか」と軽い気持ちでバタン・ルートを選んだのですが、悪路と寒さと高山病で散々な目に遭い、埃まみれになって成都に退却。
でも、空の青さが印象的な旅でした。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
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-
1991年3月22日(金)
成都からチベットに行く方法は2つ。
旅行社が主催するツアーに参加するか、自力で行くか。
ツアーの値段は3600元(FEC)と高額のうえに自由がきかないのでパス。
陸路で行くことにした。 -
ダルツェンド(康定)までのパーミット。これが無いと切符を売ってもらえなかった。
ダルツェンドから先はパーミットが取れないので、あとは運にまかせる。 -
バスは8時20分に出発。旧型の解放トラックを改造した車両で、これまで乗ったバスで一番ぼろかった。
最高速度も40キロぐらいしか出ず、振動がひどい。トラックの荷台に乗っているような感覚だ。
それでも舗装道路を走っているうちは良かったが、後に地獄を見ることになる。 -
14時半頃、雅安に到着。
運転手は「今日はここまで」と言う。
えー、まだ昼間なのに。
謎の雅安泊。宿は一人2.5元だった。 -
1991年3月23日(土)
旅の2日目、朝6時に出発する。
道はダートになり、振動が体にこたえる。
後ろの赤い車両が、私たちの乗ったポンコツバス。
車体に「Kangding」と書かれているので康定号と呼んでいた。 -
最大の難所と言われていた二郎山では、一方通行のために何時間も待たされ、長い渋滞が発生していた。
やっと走り始めたと思ったが、ガードレールも無い崖の道は吹雪になり、何度も肝をつぶす場面に出くわす。
「ひょっとしたら死ぬんじゃないか」と心臓がドキドキした。実際、崖下につぶれているトラックやバスを何台も見かけた。
今はトンネルが出来たが、グーグルアースで旧道を見ると相当に危険な山道だったことがわかる。 -
凍りついた二郎山を行く。
-
怖かった二郎山を無事に越え、濾定を過ぎた頃は夕方になっていた。
しかし、バスはまだ走り続ける。
川の水が青い。 -
ダルツェンド(康定)に着いたのは夜遅く。
古い招待所に泊まり、バタンキュー。
そういえば、バス駅の前の暗闇で何かボロ布があるなと思ったら、急に動いたのでビックリ。チベタンが数人で野宿をしていたのだった。 -
1991年3月24日(日)
旅の3日目。朝早くバス駅に行くと、当日のバタン行きの切符を買うことができた。
バスは週に2便しか運行しないのでラッキーだ。
しかし、またもやポンコツの康定号。しかも今度の車両は床に穴が開いてて地面が見えるのだ。走行中砂ぼこりが車内に入ってきて、前方の席が見えなくなるほど白くなってしまった。
先行き不安。 -
ダルツェンド(康定)からはぐんぐん標高を上げていく。
車窓の眺めが素晴しい。
ここが折多山の峠ということも、標高が4300mあることも当時は知らなかった。 -
ダライラマの自伝で、「北京からラサへの帰り道、ダルツェンドまで来るとようやくチベットの眺めになってホッとした」というのを読んだことがある。
彼が見たのはこの風景だったのかもしれない。 -
草原の彼方に雪山が連なって見えた。
-
神々しさに、手を合わせる。
雅拉神山という名前は、後に知った。
明治32年7月、能海寛と寺本婉雅の二人の僧侶は、チベットに行くためダルツェンドを出発した。この道を1ヶ月以上歩いてバタンに着いたものの、それから先へ進めずに引きかえしたという。
その10年後、矢島保治郎という冒険者(ある意味バックパッカーの祖先のような人)が同じルートを地元民に変装(たぶん女装)してラサに至っており、日本人で最初に四川からチベットに入った人として知られている。
いずれも命がけの旅だったろう。
徒歩や馬でこの道を行くなんて、どれだけ困難であったことか。昔の日本人は気合が違う。 -
夕刻、ニャクチュ(雅江)に到着。
谷間にある小さな集落だ。 -
正面に見えるのが、私達の泊まった旅社。
今日はかなり疲れた。
全身ホコリまみれになり、真っ白になった顔を妻と見合わせて笑った。 -
1991年3月25日(月)
ニャクチュ(雅江)を早朝出発する。
成都を出発して4日目、今日が最も過酷な一日となった。
写真はパンク修理中の康定号。今回の旅行中にパンクが3度、故障も何度か発生した。 -
見渡す限りの草原で、髪を赤い糸で巻き、トルコ石や瑪瑙などの宝石をつけたカムの男が乗ってきた。すでに席は無く、彼は乗降口に腰かけた。
雪の降るなかでバスは再びパンクした。作業するチベット族運転手を手伝ったのは彼だけだった。カムパは他の乗客にも協力を要請したが、動く者はいなかった。
運転手と二人でタイヤ交換を終えると、カムパは外したタイヤを車内に持ち込んだ。
「場所が無いのだから、そんなもの入れるな」と通路に座っていた四川人の男が文句を言うと、カムパは5秒ぐらい黙り、そのままタイヤを男のほうにゴロゴロと押し付けた。
この行為にビビリ、四川人は黙ってしまった。カムパはタイヤに寄りかかり、悠々と通路に座っていたが、やがて何も無いところでバスを下り、草原を歩いて行った。 -
リタン(理塘)で休憩する。
用を済ませた途端に息がハーハーし始め、頭が痛くなる。
特に妻の具合が悪い。ものを食べる気も失せ、苦しみに耐えながらの乗車となる。途中のことはよく覚えていないが、標高が下がるにつれて高山病の症状は治まった。
バタンに着いたのは真夜中。駅の宿に泊まるのは危険だと思い、少し離れた旅社に向う。すでに鍵は閉まっていたが、大声で呼びかけて泊めてもらった。こんなに疲れたことはなかった。 -
1991年3月26日(火)
バタンの夜が明けた。
チベット族の集落が見える。 -
特徴のあるチベット式住居。
いつもならすぐ村に行くのだが、目立ちたくないので我慢する。 -
わかりにくいけど、左上に大きなワシが飛んでいた。
-
ロバと水汲みに行く村人。
少年の胸にはカーラチャクラのシンボル、ナムチュワンデン・バッジがついている。 -
村を歩いていたカムの女性。
-
バタンが気に入ったという妻。宿の前に「三八食堂」という店があり、ここの女老板の作る料理が美味しかった。体力も急速に回復する。
旅社で就寝中、大きな音で目が覚めた。夜中に一人のカムパと3人の漢族がケンカをしていたのだ。壁がドスンとゆがんだので驚く。各部屋はパーテーションのように壁の仕切りがあるだけで天井は無く、一部始終が見えた。カムパは一人の男を投げ飛ばし、さらに外に逃げていく2人の漢族を追いかけてボコボコにしていた。
私も妻も真っ青になっていると、カムパは帰ってきて壁の上からこちらを覗き込み、「起こしてごめんなさい、もう寝ます」と言った。ヒェー。 -
バタンの中心部に市が立つ。
人が少なく閑散としているが、青空と日中の陽気が心地いい。 -
買い物をしたら、お釣りは見たことの無い札だった。
1955年に発行された第二套人民幣という古い紙幣も、バタンでは現役で活躍していた。 -
バタンで購入したポタラ宮の大きなポスター。
これは今も部屋に貼ってあります。 -
チベット仏教の護符、ナムチュワンデン・バッジ。
多くのチベタンが服につけていた。 -
雄大なバタンの眺め。
バタンから先に行くバスは無いため、ヒッチハイクするしかない。いろんな人に情報を聞いてまわるが、この季節は先に向かう車は無いという。
マルカムまで行けばどうにかなるそうだが、歩いて行ける距離ではない。
2日間バタンで車を待つが、1台も通らなかった。これじゃヒッチができない。
仕方ないので、成都に帰ることにした。チベットに陸路で行ったのは、それから4年後になった。
茶馬古道の要衝ダルツェンド(康定)〜四川の旅1991に続く
http://4travel.jp/travelogue/10667261
4年後のチベット旅行記(雲南からラサ)はこちらです
http://4travel.jp/travelogue/10867344
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この旅行記へのコメント (2)
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- kodeyanさん 2012/05/12 15:27:44
- 吹雪の二郎山
- がおちんさん こんにちは
トンネルが出来る前のニ郎山ですか。
ある意味貴重な経験だと思いますが、
すごいスリル満点の道ですね。
それも吹雪の山道!
スリップしたら・・ なんて考えたら
気絶しそうです。
それにしても当時の半券を綺麗な状態で
きちんと保管していますね。
素晴らしいです。
ではでは☆彡
- がおちんさん からの返信 2012/05/12 20:18:02
- RE: 吹雪の二郎山
- kodeyanさん、こんにちは。
二郎山なんて名前はかわいいですが、
悪魔のような恐ろしい山でした(笑)。
山越えだけで半日ぐらいかかった記憶があります。
歩くほどのスピードで、寒くて怖くてウンザリでした。
やはり、あそこが中国とチベットの境だったような気がします。
当時の切符の保管は、たまたまなんです。
古い旅行の期日は曖昧になりがちですが、
切符や宿泊票が残っていたので、旅行記を書くのに助かりました。
今となっては、これも良い記念ですね。
がおちん
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