2010/11/21 - 2010/11/22
723位(同エリア1594件中)
フラワーさん
14日目の今日はカイロ市内観光です。エジプト考古学博物館から、世界遺産のカイロ歴史地区「オールドカイロ」を観光します。
その後予定では16:55発のエジプト航空便で帰国の途につきます。
写真はエジプトの、いや世界の宝物を数多く保有する「エジプト考古学博物館」です。
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ボリュームのある朝食、最後の一日も元気に出発。
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昨晩のパーティー会場はこんなところでした。
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このリゾートホテル“カタラクト リゾート ピラミッド”は庭から見るとこういう形です。
この旅は往復エジプト航空で、カイロに入ってカイロから帰りますので、最初に一泊したのもこのホテルでした。そのときは階段で大きな荷物を3階まで持ち上げ、奥の奥のほうの部屋まで運びました。部屋は広いのですが埃っぽくハエと蚊が飛んでいました。古いリゾートホテルでとても五つ星とは思えませんでした。
最後の2泊ではトイレの不具合に対して、その対応が早かったこと、食事が良かったこと、部屋のリクエストをきいてくれたことが加点要素たなり、私たちの評価は
3・0となり、最初の一泊の評価1・0と平均して2・0となりました。 -
バスの座席の灰皿、懐かしい。
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川端会議。背景は例の“ゴミの川”です。
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日本で言えば自動車専用道路だと思うのですが、ロバの通行も出来るのでしょうか。それにしても飛ばしているドライバーも怖いでしょうし、ロバも恐ろしいのではないでしょうか。
どうぞご無事に。 -
こう見ると大都会です。
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多くのマンションが建てられています。
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なにを積んでどこに行くのでしょうか。積載オーバーかも。
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ナイル川の橋の付近は、モヤがかかったようになり視界が良くないです。
ナイル川に映る朝日です。 -
町の喫茶店。まだお客さんはいません。
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キリスト教のお墓です。大きいですからかなり偉い人のお墓なのでしょう。
イスラム教のお墓もこの近くにありました。イスラムでは土葬だそうです。 -
地下鉄の駅です。
現地ガイドのモハメッドさんによると地下鉄の車輌はフランス製が多く、次は東芝製だそうです。
そして全線均一料金で1エジプトドル(約18円)だそうです。乗ってみたっかたです。 -
この円形の壁はローマ時代のコプト教会の城塞のような建造物です。AD2世紀に崩壊しましたが、7世紀にその上や横にキリスト教会が建設されました。
コプト教会はキリスト教の東方教会の一つで、AD2世紀にエジプトで独自に発展しました。伝承によればAD40〜45年頃に、マルコがエジプトのアレキサンドリアにキリスト教を伝道しました。
その後3世紀はじめにキリスト教は迫害を受けましたが、コプト信徒はこれをはねのけて284年には独自の暦をスタートさせました。
そして451年のカルケドン会議で異端とされた後、現在のキリスト教多数派から正式に分離しました。 -
現在のコプト教会です。
いまこの国では85%がイスラム教、15%がキリスト教(コプト教含む)でコプト教単独でも10%ともいわれています。
ただし信徒の多くはアスワンなど南部に集中しているようです。それは639年に始まったイスラム教の侵攻で、信徒の多くがエジプトの南方地域へ逃げていったからです。イスラム教によって征服された後も存続し、現在も国内に数百万規模の信徒がいると言われます。 -
上の写真の門を中に入ると、現在使用されている教会があります。
この日は大切なお祈りの日ということで、教会内部には入れませんでした。 -
中庭を挟んだ建物の壁には明るい色調のモザイク画があり、聖母マリアを最も崇拝するコプト教の教えが読み取れます。
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これらのモザイク画は近年描かれたものです。
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絵の説明はできません。
コプト教は簡単に言えば、キリスト教のエジプト版と考えてよさそうです。
“コプト”とはコプト語に由来します。エジプトがキリスト教化されたAD3世紀
頃から、古代エジプト語がコプト文字で書かれるようになりました。エジプトのキリスト教徒によって広く話されましたが、のちにアラビア語に席捲され16世紀には殆ど話されなくなりました。
コプト教会はいまでも典礼用語として使っているようです。 -
これも説明できませんが、可愛らしくほのぼのとしていて一番印象に残っています。
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左が地下鉄駅、正面も教会です。
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コプト教会の近くにいた子供たち。
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モスクが沢山あります。この辺り一帯はイスラムカイロと呼ばれているところです。
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市内の景色です。
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街角風景。エジプトではそこかしこに警官が立っています。
現ムバラク政権もそうですが、この国では1952年の軍事クーデターで王制が倒れて以降、歴代大統領は軍から輩出されています。軍事政権を体験していない私たちには怖く感じます。
ムバラク大統領はごく最近「国民生活の向上が自分の最も大切な仕事」と訴えたそうですが、いままで統治した29年間は何をやってきたのでしょうか? -
名前は分りませんが立派なモスクが見えます。
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スルタン・ハッサン・モスクです。
ハッサンという名の王様のモスクです。1356年〜1363年に建造されました。土地柄でしょうか、建物全体が土色です。しかし堂々としています。 -
尖塔もとても高いです。
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さっき見えたモスクが朝の光に浮かんでいます。
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ここはオールドカイロと呼ばれている地区で、昔ながらの商店が軒を連ねています。
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白黒のツートンカラーは古いタクシーだそうです。
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サイドに市松のラインのはいっているのが新しいタクシーだそうです。
カイロのタクシーは料金が明確ではなく不評とのこと。(モハメッドさん談)
料金メーターは「アクセサリー」と考えた方がよく、交渉は現地の人でも大変ということでした。
男性は助手席に乗るのが一般的で、なぜかというと途中で他人が乗ってくることもあり、また運転手に行き先を指示するためとのこと。ということは、知っている所へ知っている道を通って行く場合に利用するものですね。 -
ここオールドカイロには、300年ぐらい前の建物も多く残されています。
イギリス統治時代に建てられたのでイギリス様式なのです。 -
この建物もすこし古そうです。
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ナイル・リッツ・カールトンホテル、完成間近のようです。
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エジプト考古学博物館に着きました。
館内は撮影禁止です。
カメラは総てモハメッドさん経由で博物館に預けられました。
ここはエジプト人にとって憩いの場所だそうです。
エジプトの誇りなのでしょうね。
館内には膨大なお宝の数々。一日ではとても見きれません。
王墓から発見された数多くの物から、3200年も前の王から奴隷までの生活を、現代に生きる私たちが知ることが出来るのですから驚きです -
圧巻はやはりツタンカーメンの秘宝。ミイラはここにはありませんがあの黄金のマスク他、3重にもなるお棺など2000点余りも展示されています。展示室は少し暗くなっている上、世界中から来ている人々で押すな押すなの状況。ふぅー!
もっと時間が欲しかった。
2階にミイラ室があります。別料金(60エジプトポンド。エジプトポンド以外は受け付けてくれません)です。
第19王朝のファラオ、ラムセス?世のほかにも何体もあり、当時のミイラ作りの技術の高さに驚きます。ラムセス?世の身長は190cmもあり90歳という長寿でもありました。 -
カイロ博物館の展示品は一見の価値があり、その素晴らしさに圧倒されました。、空腹にも負けました。
フィッシュ ボートでランチとなりました。 -
ぞろぞろと例によって入って行きます。
出てくる方達もいらっしゃいますね。 -
ここは中洲があるために、ナイル川が左右に分けられています。
こちらの川幅は狭いほうで、ボートレストランがほかにもあります。
あれれ、お隣は昨晩盛り上がった中華レストランですよ。 -
タジンというお料理だそうです。見た目よりも美味しかったです。
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デザートです。
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中州の建物です。これは単なる中州ではなく、観光名所もあるローダ島というれっきとした島であることが帰国してから判明しました。
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幅の広い方の川です。
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モダンなレストランの中。
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ナイル川の小魚が元気よく泳いでいました。
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昨日、名前を象形文字で刺繍するTシャツ、ポロシャツを受注し、今日バスの中でデリバリー業務に励むモハメッドさんです。
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一路空港に向かいます。
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トマト満載のトラック。落とさないように気をつけてください。
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バスの前にカイロ空港のサインです。
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空港にはこの人たちが沢山いました。
最近フランスを中心にこのブルカに対する風当たりが強くなっています。
空港内にはいませんでしたが、とくに目だけを出している人を見ると少々不気味です。
フランスは警備上危険であると主張しています。男女の区別もつかないし、武器を隠し持つこともできるからというのがその理由です。個人的には私も同感です。
北イタリアやフランスでは拘束されることもあり、罰金最高額は1600米ドルとのこと。 -
お祈りする人のエリアです。トイレではありません。私がトイレに入ると洗面台に足を乗せ、足を洗っている人が何人かいたのでびっくりしたのですが、その方達が中に入って行きました。
モスクで足を洗う場所があるのを見たことがあります。 -
MS964便 16:55発。
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エジプトの夕陽をバックに出発を待つ、我々を成田まで運んでくれるエジプト航空機。いよいよお別れです。
厳しい出国チェックがありました。
でもいいこともありました。昼のボートレストランのビールは7米ドルだったのが、空港のショップでは1米ドルでした。こうも値段が違うのには何か理由があるのではと、勘ぐりたくなります。 -
日本に向けてスタート。
16:55発の予定が18:30になりました。飛行時間は11時間30分、これも予定。 -
飛行データです。まだ半分も飛んでいません。
飛行高度はなんと11000mを越えていますし、速度も偏西風に乗って992kmとスピードがでています。 -
中国の真上です。
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北朝鮮の上空は避けて飛ぶのですね。
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午前4:42は日本時間で同じく午前11:42ですから、お昼ご飯ということです。量的には問題なし。
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長く楽しかった旅行ももうおしまいです。
添乗員さんも一緒になって楽しんでくれたような、そんな今回の旅行でした。
何といっても、皆さまのお顔とお名前を覚えられたのは、素晴らしいことでした。
同行された皆様と添乗員さんに感謝いたします。本当にどうも有難うございました。
完
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